『書評 宮沢賢治と法華経(日蓮と親鸞の狭間で) 松岡幹夫著』
0・宮沢賢治の生涯
松岡幹夫氏は、宮沢賢治の魅力をとてつもない感化の力であると評する。賢治の作品はかなり倫理的メッセージが強いが、説教くささがなく、感化的だという。この感化力は心の底から何かを信じ切っているから、自分の存在が信念そのものになっているからだという。 松岡氏の『宮沢賢治と法華経(日蓮と親鸞の狭間で)』を内容を紹介する前に、賢治の生涯を素描したいと思う。その後に、『宮沢賢治と法華経(日蓮と親鸞の狭間で)』の章だてに従って、その内容を紹介したいと思う。 宮沢賢治は、1896年(明治29年)8月27日、岩手県稗貫郡花巻町で生まれる。質・古着商を営む宮澤政次郎とイチの長男として生まれる。浄土真宗門徒である父祖伝来の濃密な仏教信仰の中で育った賢治は、叔母の手ほどきで四、五歳の頃から親鸞の「正信偈」や浄土真宗本願寺八世蓮如が撰述した御文の5帖目第16通「白骨の御文章」を暗唱していたという。子どものころから同情心の強かった賢治は、父・政次郎が、質として遊女などあつかう、ありさまを見て、家業を継ぐのを泣いて拒んだという。
1909年(明治42年)、旧制盛岡中学校(現・盛岡第一高等学校)に進学した。鉱物採集に熱中。岩手山・南昌山などの山登りにも熱中し、水晶を採集などをした。哲学書を愛読。在学中に短歌の創作を始める。十六歳の時には「歎異抄の第一頁を以て小生の全信仰と致し候」と父宛の手紙に書いた。
1914年(大正3年)、盛岡中学校を卒業。肥厚性鼻炎を患い、盛岡の岩手病院に入院。退院後自宅で店番などするが、その生気の無い様子を憂慮した両親が上級学校への進学を許可する。同時期に、島地大等訳『漢和対照妙法蓮華経』を読み、体が震えるほどの感銘を受ける。
1915年(大正4年)、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)に首席で進学。関豊太郎教授の指導の下で地質調査研究を行う。1917年(大正6年)、小菅健吉、保阪嘉内、河本義行と同人誌『アザリア』を創刊し、短歌・小文などを発表する。
1918年(大正7年)、3月、得業論文『腐植質中ノ無機成分ノ植物ニ対スル価値』を提出し卒業。4月、同学の研究生となる。
1920年(大正9年)、研究生を卒業。関教授からの助教授推薦の話を辞退。10月田中智学の国柱会に入信。自宅で店番をしながら、信仰や職業をめぐって父と口論する日々が続く。
1921年(大正10年)、11月、稗貫農学校(のちに花巻農学校、現花巻農業高等学校)教師となる。
1922年(大正11年)、11月27日、よき理解者であった妹トシ病死。
1924年(大正13年)、4月、心象スケッチ『春と修羅』を自費出版。辻潤が同詩集を賞賛。農学校生徒と演劇を上演、一般公開。12月、イーハトヴ童話『注文の多い料理店』を刊行。
1926年(大正15年)、3月末で農学校を依願退職。花巻町下根子桜の別宅にて独居自炊。羅須地人協会を設立し、農民芸術を説いた。
1928年(昭和3年)、夏、農業指導の過労から病臥し、秋に急性肺炎を発症。以後約2年間はほぼ実家での療養生活となる。
1933年(昭和8年)9月21日に急性肺炎で死去した。享年37。

1・『銀河鉄道の夜』の言葉と『法華経』の思想
『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治が「法華文学」に挑んだ作品であった。しかし、『法華経』の流布を目指したものであるとしても、その内容は、浄土真宗的な人間観・世界観を基底している。 その点を検証するためキーワードとして、「銀河」「地図」「切符」「みんな」「いっしょに」「さびしい」「かなしい」「つらい」「どこまでも」「ほんとう」という言葉を分析する。 「銀河」「地図」「切符」は、それぞれ『法華経』の真理・教え・本尊をほのめかす言葉である。 「みんな」「いっしょに」は、賢治の法華経的な共生思想を象徴する言葉である。しかし、個と全体の間に自在な共生が法華経的であるにもかかわらず、『銀河鉄道の夜』は改稿を繰り返すうちに全体主義的な共生思想へと変質していった。賢治の自己否定的な浄土真宗的精神性が個を否定して全体を肯定する思惟を強めたことが考えられる。 「さびしい」「かなしい」「つらい」の多用は、実に法華経信仰に対する真宗的精神性の優位を証するものといわねばならない。ため息が出るほど幻想的で美しい銀河と、生きるつらさから逃れられないジョバンニと。この対比の構図は、まるで極楽浄土と現世穢土を対比的に描く浄土真宗思想の生き写しのようだ。 「どこまでも」の使い方にも、法華経信仰と浄土真宗的精神性の格闘が見受けられる。 万物と共に歩み、自由自在ゆえに「今ここ」に生きる。この法華経的な「どこまでも」の中に、賢治の浄土真宗的精神性は自虐的献身や友への依存感情、彼岸への願望を埋め込んだ。 「ほんとう」の用例をみても同じことが言える。法華経的な「ほんとうに」は、全き 自由自在を意味する。「ほんとうの幸福」は苦楽に自在な幸福、「ほんとうのほんとうの神さま」は真偽や優劣といった比較相対に縛られない自在の神を指す。しかし、賢治はそこに自虐的傾向、他力志向、彼岸願望などの浄土教的な精神性を持ち込み、陰鬱な自由というべき特異な「ほんとう」をつくり上げた。
2・『ビジテリアン大祭』にみる仏教的エコロジー
宮沢賢治のベジタリアンは、大乗仏教的同情派といえる。賢治の言説には諦観的な<悲痛の功利主義>がみられ、輪廻転生観、縁起連関の世界観、宇宙実相の信仰、浄土真宗的現世苦界の教え、 『法華経』の娑婆即浄土の理想など、多彩な仏教思想が背景にある。また、「同情」を非常に重んずる。仏教は同情を究極まで進化させる宗教とされ、科学は同情を行動に移すための最大の武器とみなされ、賢治本人の感性からして同情の固まりであった。現代のエコロジーは、生態系や気候変動、自然の価値・権利など、どちらかといえば人間の外側にあるものについて思索する学問である。しかし、宮沢賢治が構想した仏教的エコロジーは、何にも増して「同情のエコロジー」であり、「心の論理」が「物の論理」よりも重きを おいていた。
松岡氏は、賢治の仏教的エコロジーについての疑問をいくつかあげる。一つは、「同情の階層」問題である。仏教的エコロジーには輪廻転生の信仰あり、輪廻する動物はわれわれの過去の親兄弟とされるが、虫はどうか、また植物はどうなのかという問題である。東アジアの大乗仏教は、無情の植物にも仏性を認めている。また、一つは、人間の尊厳についてである。『ビジテリアン大祭』では、人間も肉食系の動物の一つとして「もし需要があれば絶対に食われることを避けていけない」とある。賢治の考えにアニミズムがあると指摘する論者が多いが、一般に仏教徒は、人間も豚や魚と平等な立場で皆の犠牲になるべきだとする賢治的な理想を受け入れない。そのように考えるのは、ジャイナ教徒である。 もう一つの疑問は、賢治の法華経信仰に関してである。賢治は、田中智学が主催する国柱会の熱心な信者となり、「法華文学」の興隆を志した。『ビジテリアン大祭』もそうした意図で書かれ、浄土真宗本願寺派のベジタリアンを「悪魔の使徒」と弾劾する場面もでてくる。しかし、大乗的同情派のベジタリアンの態度として「仕方がないから泣きながら食べてもいい」云々というあたりは、法華経信仰とは言い難い。法華経的な見地からすれば、肉を食べる際、悲しみではなく、感謝と報恩の心情が生まれるはずだという。これは、法華経信仰というより、浄土真宗的信仰である。
3・宮沢賢治における法華経信仰と真宗信仰―共生倫理観をめぐって
宮沢賢治ほど「われら」「みんな」「ともに」「いっしょに」といった言葉を多用した文学者は珍しい。その理由は、彼が生きとし生けるものの幸福の実現を真剣に模索し、その切実な思いを自分の文学作品に表現していったからである。宮沢賢治文学の思想的基調は共生倫理観であり、現代の共生思想が人間と動物の共生をも視野に入れることを考えれば、現代的意味での共生倫理観と呼びうる。賢治における倫理思想の形成は仏教的なもの、特に法華経信仰と浄土真宗信仰が基本になっているが、賢治は、当時としては非常に 幅広い教養の持主であり、哲学思想、自然科学、地理、歴史、音楽、美術、文法、語学、日本や東洋の古典の影響を少なからず受けていた。 賢治の共生倫理観は、彼個人の共感的性格、幼少期に培われた浄土真宗的精神、『法華経』の大乗的成仏観や捨身思想、島地大等・田中智学に性格ずけられた法華経信仰、さらに近代知識人としての文学思想的また科学的な教養が加わって展開された。死ぬまで、田中智学の国柱会の御本尊に題目を送っていたが、日蓮の法華経思想の忠実な継承者たらんとしたわけではなかった。 なお、賢治は、田中智学の国柱会の日蓮的法華経信仰にみられる教条的排他性を、人間的な共感や普遍のあくなき追求、そして近代の実験的精神を通じて克服しようとした。
4・日本仏教からみた「共生」-宮沢賢治を例にとって
仏教とは人間に無限の自由を与えた宗教だという視点に立つ。自由自在に生きることが人間の最上の楽しみであるとすれば、それを個人の幸福と呼ぶことも、他者の幸福と呼ぶことも、あるいは世界の幸福と呼ぶことも可能である。このような観点から、松岡氏は、仏教的な「共生」を考えているが、宮沢賢治も似たような共生の思想を持っていたことがうかがえる。賢治の『農民芸術概論綱要』のある有名な言句、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」「詩人は苦痛をも享楽する 永遠の未完成これ完成である」などは、まさしくそうである。こうした賢治の共生観は、はたして真に仏教の自由自在に立脚したものだったのか、この問題を検討していく。 賢治の自己犠牲的共生観は、童話『銀河鉄道の夜』の主人公ジョパンニの「ほんとうにみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん焼いてもかまわない」という言葉や、童話『グスコーブドリので伝記』、有名な「雨ニモマケズ」という詩作メモに表れ、皆の共生を願う自己の犠牲的献身を声高に賛美している。賢治の場合、法華経的な自己犠牲の精神は、浄土真宗的な自己卑下や他力救済の思想のフィルターを通しており、自己の罪悪深重を自覚する姿勢が現れている。 とはいえ、賢治の作品の中には『法華経』の思想が深く浸透した共生観もみられ、自己を否定して犠牲献身を行うよりも、自己を肯定的に拡大して万物を包む実践を志向している。『春と修羅』の「わたしという現象は 仮定された有機交流電燈の ひとつの青い照明です 風景やみんなといつしょに せわしくせわしく明滅しながら いかにもたしかにともりつづける 因果交流電燈の ひとつの青い照明です」。『農民芸術概論綱要』の「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない 自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じていくことである」。 自由自在の真理に基づく自己拡大的な共生観は、同時に自己犠牲的な共生観でも、自他調和的な共生観でもあるはずであるが、賢治の共生観に関しては、結論的には自己犠牲と自己拡大の両極に分裂したという感が否めない。そう松岡氏は指摘する。 『よだかの星』のよだかは死後に星となっていつまでも燃え続け、『グスコードブリの伝記』のドブリが農民のために殉死した後は、イーハトーブの森に「たくさんのドブリやネリ」がもたされる。賢治が追い求めてやまなかったの絶対一元の世界における一者、一なる絶対者であった。 M・ブーバーは、ブッダの教えを批判して「(一切の衆生は、わが胸の中に限りなく治められている)という、この慈悲は、ある存在が他の存在と直接向かい合っていることとは異なったものである」「世界はわたしの中にあるのではなく、また、わたしは世界の中にあるのでもない。世界とわたしは相互的に関係しているのである」等と痛烈に述べている。ブーバーは、仏の自由自在な境地を単なる主客合一と誤解しているが、絶対一元の世界において「他者」が消失するのは確かである。賢治における自己犠牲や自己拡大は、およそ観念的な絶対一元の世界への参入を目指す実践であり、それらは「他者」の消失を意味し、ほかならぬ賢治の共生観と深刻な齟齬をきたすという。 仏教の絶対一元の世界は、本来、経験的な<自己ー他者>の関係において自由自在の真理を躍動させる。ここから、仏教的な共生のあり方を考えるのが松岡氏の立場である。しかし、経験的な自他の主体を嫌って自他無差別の一者を追い求めた賢治は、仏教の自由自在を十分に捉え切れておらず、結果、彼の作品は読者の心に「他者」無き共生の印象を与えるようにみえる。
5・『法華経』の共生思想
松岡氏は、まず、A・N・ホワイトヘッドの宗教と科学について論じた次の言葉を冒頭に掲げる。「宗教も科学と同じ精神で変化というものに対決しえないかぎり、昔日の力を回復しないであろう。宗教の諸原理は永遠的なものではあろうが、これらの原理の表し方は絶えず発展しなければならない」。 仏教はドグマティズムから最も遠い宗教であり、仏教の法は本来言表できないとされ、仏教概念は常に便宜的な表現、すなわち「方便」の形をとる。仏教のなかで、一番、万人の成仏を保証するのは、法華経であるが、松岡氏は、法華経思想を中心に法の不可説性、真理の不可思議さから、一切の言語的思考を相対化する多元主義、公共的な思想性ができないかと考える。初期仏教からインドの大乗仏教、東アジアの大乗仏教に至るまで、種々の思想的展開はあったにせよ、仏教の悟りの底流にある考え方は、今日的には『自由自在』と表現するのが何かと解りやすいのではないかと提案する。完全な自由自在としての仏教的真理は、具体的には「すべてを生かす力」として外に働き出す。 『法華経』にみる共生の特徴は、次の点である。他者の苦しみを鋭敏に感受する。自他共に自由を楽しむ。自他の能力的、人間的な個性を開化させる。あらゆる思想を活用する。『法華経』の主義は、一元論的でも多元論的でもなく、また一元論的でも多元論的でもあり、ただ自由自在と呼ぶ以外ないものである。 法華経的共生主義は、ある種の現実肯定をともなう。昭和戦時期の日本で、軍部政府が天皇制ナショナリズムの理論的意味づけとして法華経的精神を利用した。しかし、自由自在は、無限の能動性であるから、元来、束縛や執着をともなう近代の自由論等と比較しても格段に積極的な社会変革の実践を導くはずである。これを理論化するのは非常に困難である。なぜなら、この実質は生きた心という他ないからである。法華経的な共生主義の実践の成否は、一にかかって生きた心に基づく固定観念の拒否にあると、松岡氏は推考する。
6・おわりに
「ビヂテリアン大祭(P167)には、次の記述がある。 ・・賢治の考え方にしたがえば、キリスト教も仏教も、ただ神仏の力を強調するだけでは愛と慈悲の教えが現実世界に及ばない。神仏の力に加え、人間の力も信じる法華経的、日蓮的な宗教であって初めて、愛と慈悲が人間を通じて一切の生物に向けられ、肉食を避けるベジタリアンの生き方が世に広まる。そのように、賢治は、人間の同情心を宇宙大に広げゆく宗教として日蓮的法華経信仰を捉えていた。そこから、人類が一切の生物を平等に尊重してエコロジカルな責任を担い立つ文明の到来を望み、『大祭』を執筆したのでは ないかと推察される。