0.牧口常三郎先生の「日蓮大聖人の仏法との出会い」
創価教育学体系の研究が次第に熟し、まさに第一巻を発表しようとしたころ、不思議な因縁から法華経の研究を こころざし、研究が進んでいく間に、私の宗教観に一大変革が起こった。
私は、禅宗の家に生まれ、法華の家に養われたのであったが、何ら信仰の念はなかった。苦学力行の青年期に 敬愛し親近した師友は、たいがいキリスト教徒であったが、ついに入信するにはいたらなかった。 壮年になって上京以後、儒教の道徳だけでは不安に堪えられなくなり、ふたたび参禅したり、キリスト教の説教を 聞いたり、深呼吸法をも習い、その他の教説にも近づき、多少の入信はしたが、ついに深入りすることはなかった。 ・・・・・(それらは)いずれも、科学および哲学の趣味を転じさせるような、または、それと調和するほどの、 力があるものと感じることはできなかったからである。
ところが、法華経に会い奉り、その教えが、われわれの日常生活の基礎をなす科学・哲学の根本原理にほかならず、 それらとは少しも矛盾がないこと、今まで教わって宗教道徳とはまったく異なることに驚き、心が動きはじめた矢先、 生活上に不思議な現象が数種あらわれ、それがことごとく法華経の文証に合致しているのには、驚嘆の外なかった。 そこで、一大決心をもっていよいよ信仰に入ってみると、「天晴れねれば地明らかなり、法華経を識るものは世法を 得べきか」との日蓮大聖人の仰せが、私の日常生活のなかでなるほどと肯かれることとなり、言語に絶する歓喜を もって、ほとんど六十年の生活法を一新するにいたった。暗中模索の不安が一掃され、生来の引っ込み思案がなくなり、 生活目的がいよいよ遠大となり、畏れることが少なくなり、国民教育の改造を一日も早くおこなわせなければならぬと いうような大胆な念願を禁ずることができなくなった。などがそれである。しかも、それは、「彼が為に悪を除くは 彼が親なり」という最大の慈悲を最高の正直によって生活する、法華経の精神に従っていくと、「諸天善神は昼夜に 常に法の為の故に之を衛護し給う」との教文が、いささかながらも、研究と体験とによって証明されたからである。 創価教育の研究にも、これから大いなる信仰を得て、一大飛躍することになり、ついに、このような大胆な表現を、 あえてするにいたったのである。
(『創価教育学体系外観』)
1.仏教の人間主義の系譜
創価学会は、釈尊に始まり、インドの竜樹・天親(世親)らの菩薩とたたえられた論師、 中国の天台大師(智顗)・妙楽大師(湛然)、日本の伝教大師(最澄)、日蓮大聖人へと 発展的に継承された仏教を信奉する教団です。釈尊以来の仏教の生命尊厳・万人尊敬という人間主義の 正統な系譜に連なっています。
創価学会は、大乗経典のなかでも法華経に依存し、日蓮大聖人が身をもって示された法華経の根本精神に 則った信仰実践と活動を現代に展開しています。
釈尊
仏教を開いた釈尊は、古代インドに王子として生まれました(生誕の地ルンビニーは、ネパールに位置している)。
若き日、生・老・病・死という免れない人間の苦しみを目の当たりにし、今は青春の真っ只中で健康に生きていても、 生・老・病・死は免れがたいことを知り、その根源の苦悩の解決法を探求しようとして出家しました。
釈尊は、王子として万人が羨む、満たされた境遇にいました。しかし、人々が求める贅沢さも所詮、はかなく空しいと 知り、楽しむことはなかったと回想しています。そこで、人間が生きる意味を明らかにする正しい思想・哲学を求めたのです。
目覚めた人=ブッタ
釈尊は、伝統的な教えにも、同時代の革新的な教えにも満足できず、瞑想修行によって、種々の苦悩の根本原因と その解決について探求しました。そして、一人一人の生命、宇宙を貫く永遠普遍の”法”に目覚めたのです。
釈尊は、古代インドの言葉で”目覚めた人”という意味の「ブッタ」と呼ばれます。後に中国では漢字で「仏」「仏陀」などと 表記しました。”釈迦族出身の聖者”という意味で「釈迦牟尼」「釈尊」ともいいます。仏教の教えの中核は、釈尊が 目覚めた「法」です。
尊厳性を自覚する知恵
釈尊は、人々が、自己の本来的尊厳への無知から、自己中心的な目先の欲望にとらわれ、他の人を不幸に陥れても 幸せになろうとするエゴイズムに覆われていると喝破しました。
そして、内なる永遠普遍の法に目覚めて、根源的な無知(無明)から解放された自己の本来の清浄な生命に 立ち返る生き方こそ、人間が人間らしく生きるために必要な最も尊く優れたものであると教えました。
それは、うちななる智慧の発現によって、無上の尊厳性を自分自身の生命に取り戻し、無限の可能性の開花を 促す”人間の価値の再生”であったといえるでしょう。
万人尊敬の慈悲
釈尊は、自己の尊厳性を自覚ことによって、他者の尊厳性を知り、尊敬することを教えました。これが「慈悲」の基本 精神です。
釈尊は、ある大王に対して”だれにとっても自分以上に愛しいものはない。自己を愛する者は他人を害してはならない”と 教えています。
仏教で説く”慈悲”とは、他の人も自分と同じように大切な存在であると知って、他の人を大切にすることであり、万人に 双方向性をもつものです。
大乗仏教の精髄=法華経
釈尊が50年に及ぶ弘教の人生を終えて亡くなった後、釈尊のさまざまな言行が弟子たちによってまとめられていくました。
その中で、慈悲と智慧を根幹とする教えが大乗経典として編纂されていきます。その精髄が法華経であり、「経の王」と たたえられます。
法華経には、”一切衆生を自分と同じ境涯に高めたい”という釈尊自身の長遠な過去からの願いが、法華経を説くことで 満たされたと説かれています。法華経は、釈尊の無数の弟子たちに対して、その永遠の願いを受け継ぎ実現していく慈悲の 行動を繰り返し呼びかけています。
法華経の行者=日蓮大聖人
日蓮大聖人は、混迷する社会にあって、民衆の苦悩をわが苦悩とされ、解決の道を探求されました。
人間の真の幸福と尊厳を実現する仏法の継承を誓い、先人たちの探求をふまえつつ、自らも諸経典を探求されました。 そして、万人の無限の可能性の開花と社会への展開を説く法華経に、解答を見出されました。
さらに、人間の真の幸福と尊厳を確立し、社会の安穏を実現することを固く決意されます。仏教に対する無理解と旧来の思想への 誤った固執に基づく強烈な反発や権力者からの厳しい弾圧に屈することなく、民衆を励まし、蘇生させていく実践を、法華経の教説の 通り、命がけで貫かれた法華経の行者なのです。
大聖人は、「南無妙法蓮華経」と唱える唱題行を確立し、信仰の対象である御本尊を図顕されます。法華経の肝要の教えを取り 出して確立し、万人成仏への方途を具体的に示し開かれたのです。
「立正安国論」には「国を失い家を滅ぼさば、いずれの所にか世を遁れん。汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を 禱るべきものか」と、人々の幸福を築くには、世界の平和と繁栄が不可欠であることを訴えられています。
大聖人は、「立正安国」ーーー社会を支える根本原理として、人間尊厳の哲学を打ち立て、人々が安穏に暮らせる社会を建設することーーー を、生涯の実践の根幹にされました。
それは、人間生命や人間社会を侵食する破壊的なエゴイズムを克服していくための釈尊以来の努力に連なるものであり、信頼と 価値創造と調和に彩られた自他共の幸福の実現を願う仏法の根本精神に基づく、新たな人間主義の実践にほかなりません。
その機軸は、理性と人間性に満ちた「対話」だったのです。
日蓮仏法を現代に展開する創価学会
日蓮大聖人の思想と行動を、命を賭して、現代に蘇らせたのが、牧口先生、戸田先生、池田先生という創価の三代会長です。
その指導に基づいて。学会員はさまざまな活動を展開しています。
個人の日々の活動では、人生のさまざまな課題に挑戦しながら、唱題の実践によって、自身を深く見つめ、内なる希望と挑戦する 勇気を引き出すとともに、人間性あふれる価値観を確立し、豊かな人格の完成を図っていきます。この実践を「人間革命」と呼んでいます。
学会員は、日常的な対話や会合などで日蓮大聖人の御書や池田先生の指導などを学び、それぞれの実践体験を語り合い、 互いに励まし合い、支え合いながら活動しています。
自らの信仰体験や仏法思想を友人・知人に語り、仏法という生命の法理と創価の人間主義の運動への理解・共感を広げ、 同志のスクラムを拡大していけるのです。
仏法西還ーー世界広宣流布
日蓮仏法の実践は、どこまでも自他共の幸福の実現を目指します。
”よき市民”として、それぞれが属する共同体への貢献を大切にします。それぞれの家庭・地域・職場における役割をしっかりと 果たし、なくてはならない存在として信頼を勝ち得ることを目指しています。
創価学会では、現代世界が抱える地球的問題群への取り組みも、積極的に行っています。世界各国での核兵器の廃絶を 訴える展示の開催や難民救援活動などを通し、平和の大切さと生命の尊厳、人権の尊重などを訴えています。環境展などを 通し、地球環境の保全への意識啓発を推進しています。
創価学会は、釈尊から日蓮大聖人にいたる人間主義の哲学と実践の系譜を再発見し、仏教の真髄として認識し、尊重する とともに、その伝統と精神を現代社会において継承し、未来に伝えていく活動を展開しています。納得と触発の対話を通して、 仏法の人間主義を各人の立場で実現していく人材群の輩出のために、たゆまぬ努力を続けているのです。
この人類の幸福と世界平和を実現しゆく運動を「広宣流布」と呼んでいます。
インドから東へと向かい、日本に伝わった仏教は、いま、日本から西へと還っていっています(仏教西還)。
仏法を基調とした人間主義の運動は、世界192ヵ国・地域に広がっています。
(大白蓮華 2023年7月号 より)
創価教育学体系の研究が次第に熟し、まさに第一巻を発表しようとしたころ、不思議な因縁から法華経の研究を こころざし、研究が進んでいく間に、私の宗教観に一大変革が起こった。
私は、禅宗の家に生まれ、法華の家に養われたのであったが、何ら信仰の念はなかった。苦学力行の青年期に 敬愛し親近した師友は、たいがいキリスト教徒であったが、ついに入信するにはいたらなかった。 壮年になって上京以後、儒教の道徳だけでは不安に堪えられなくなり、ふたたび参禅したり、キリスト教の説教を 聞いたり、深呼吸法をも習い、その他の教説にも近づき、多少の入信はしたが、ついに深入りすることはなかった。 ・・・・・(それらは)いずれも、科学および哲学の趣味を転じさせるような、または、それと調和するほどの、 力があるものと感じることはできなかったからである。
ところが、法華経に会い奉り、その教えが、われわれの日常生活の基礎をなす科学・哲学の根本原理にほかならず、 それらとは少しも矛盾がないこと、今まで教わって宗教道徳とはまったく異なることに驚き、心が動きはじめた矢先、 生活上に不思議な現象が数種あらわれ、それがことごとく法華経の文証に合致しているのには、驚嘆の外なかった。 そこで、一大決心をもっていよいよ信仰に入ってみると、「天晴れねれば地明らかなり、法華経を識るものは世法を 得べきか」との日蓮大聖人の仰せが、私の日常生活のなかでなるほどと肯かれることとなり、言語に絶する歓喜を もって、ほとんど六十年の生活法を一新するにいたった。暗中模索の不安が一掃され、生来の引っ込み思案がなくなり、 生活目的がいよいよ遠大となり、畏れることが少なくなり、国民教育の改造を一日も早くおこなわせなければならぬと いうような大胆な念願を禁ずることができなくなった。などがそれである。しかも、それは、「彼が為に悪を除くは 彼が親なり」という最大の慈悲を最高の正直によって生活する、法華経の精神に従っていくと、「諸天善神は昼夜に 常に法の為の故に之を衛護し給う」との教文が、いささかながらも、研究と体験とによって証明されたからである。 創価教育の研究にも、これから大いなる信仰を得て、一大飛躍することになり、ついに、このような大胆な表現を、 あえてするにいたったのである。
(『創価教育学体系外観』)
1.仏教の人間主義の系譜
創価学会は、釈尊に始まり、インドの竜樹・天親(世親)らの菩薩とたたえられた論師、 中国の天台大師(智顗)・妙楽大師(湛然)、日本の伝教大師(最澄)、日蓮大聖人へと 発展的に継承された仏教を信奉する教団です。釈尊以来の仏教の生命尊厳・万人尊敬という人間主義の 正統な系譜に連なっています。
創価学会は、大乗経典のなかでも法華経に依存し、日蓮大聖人が身をもって示された法華経の根本精神に 則った信仰実践と活動を現代に展開しています。
釈尊
仏教を開いた釈尊は、古代インドに王子として生まれました(生誕の地ルンビニーは、ネパールに位置している)。
若き日、生・老・病・死という免れない人間の苦しみを目の当たりにし、今は青春の真っ只中で健康に生きていても、 生・老・病・死は免れがたいことを知り、その根源の苦悩の解決法を探求しようとして出家しました。
釈尊は、王子として万人が羨む、満たされた境遇にいました。しかし、人々が求める贅沢さも所詮、はかなく空しいと 知り、楽しむことはなかったと回想しています。そこで、人間が生きる意味を明らかにする正しい思想・哲学を求めたのです。
目覚めた人=ブッタ
釈尊は、伝統的な教えにも、同時代の革新的な教えにも満足できず、瞑想修行によって、種々の苦悩の根本原因と その解決について探求しました。そして、一人一人の生命、宇宙を貫く永遠普遍の”法”に目覚めたのです。
釈尊は、古代インドの言葉で”目覚めた人”という意味の「ブッタ」と呼ばれます。後に中国では漢字で「仏」「仏陀」などと 表記しました。”釈迦族出身の聖者”という意味で「釈迦牟尼」「釈尊」ともいいます。仏教の教えの中核は、釈尊が 目覚めた「法」です。
尊厳性を自覚する知恵
釈尊は、人々が、自己の本来的尊厳への無知から、自己中心的な目先の欲望にとらわれ、他の人を不幸に陥れても 幸せになろうとするエゴイズムに覆われていると喝破しました。
そして、内なる永遠普遍の法に目覚めて、根源的な無知(無明)から解放された自己の本来の清浄な生命に 立ち返る生き方こそ、人間が人間らしく生きるために必要な最も尊く優れたものであると教えました。
それは、うちななる智慧の発現によって、無上の尊厳性を自分自身の生命に取り戻し、無限の可能性の開花を 促す”人間の価値の再生”であったといえるでしょう。
万人尊敬の慈悲
釈尊は、自己の尊厳性を自覚ことによって、他者の尊厳性を知り、尊敬することを教えました。これが「慈悲」の基本 精神です。
釈尊は、ある大王に対して”だれにとっても自分以上に愛しいものはない。自己を愛する者は他人を害してはならない”と 教えています。
仏教で説く”慈悲”とは、他の人も自分と同じように大切な存在であると知って、他の人を大切にすることであり、万人に 双方向性をもつものです。
大乗仏教の精髄=法華経
釈尊が50年に及ぶ弘教の人生を終えて亡くなった後、釈尊のさまざまな言行が弟子たちによってまとめられていくました。
その中で、慈悲と智慧を根幹とする教えが大乗経典として編纂されていきます。その精髄が法華経であり、「経の王」と たたえられます。
法華経には、”一切衆生を自分と同じ境涯に高めたい”という釈尊自身の長遠な過去からの願いが、法華経を説くことで 満たされたと説かれています。法華経は、釈尊の無数の弟子たちに対して、その永遠の願いを受け継ぎ実現していく慈悲の 行動を繰り返し呼びかけています。
法華経の行者=日蓮大聖人
日蓮大聖人は、混迷する社会にあって、民衆の苦悩をわが苦悩とされ、解決の道を探求されました。
人間の真の幸福と尊厳を実現する仏法の継承を誓い、先人たちの探求をふまえつつ、自らも諸経典を探求されました。 そして、万人の無限の可能性の開花と社会への展開を説く法華経に、解答を見出されました。
さらに、人間の真の幸福と尊厳を確立し、社会の安穏を実現することを固く決意されます。仏教に対する無理解と旧来の思想への 誤った固執に基づく強烈な反発や権力者からの厳しい弾圧に屈することなく、民衆を励まし、蘇生させていく実践を、法華経の教説の 通り、命がけで貫かれた法華経の行者なのです。
大聖人は、「南無妙法蓮華経」と唱える唱題行を確立し、信仰の対象である御本尊を図顕されます。法華経の肝要の教えを取り 出して確立し、万人成仏への方途を具体的に示し開かれたのです。
「立正安国論」には「国を失い家を滅ぼさば、いずれの所にか世を遁れん。汝、すべからく一身の安堵を思わば、まず四表の静謐を 禱るべきものか」と、人々の幸福を築くには、世界の平和と繁栄が不可欠であることを訴えられています。
大聖人は、「立正安国」ーーー社会を支える根本原理として、人間尊厳の哲学を打ち立て、人々が安穏に暮らせる社会を建設することーーー を、生涯の実践の根幹にされました。
それは、人間生命や人間社会を侵食する破壊的なエゴイズムを克服していくための釈尊以来の努力に連なるものであり、信頼と 価値創造と調和に彩られた自他共の幸福の実現を願う仏法の根本精神に基づく、新たな人間主義の実践にほかなりません。
その機軸は、理性と人間性に満ちた「対話」だったのです。
日蓮仏法を現代に展開する創価学会
日蓮大聖人の思想と行動を、命を賭して、現代に蘇らせたのが、牧口先生、戸田先生、池田先生という創価の三代会長です。
その指導に基づいて。学会員はさまざまな活動を展開しています。
個人の日々の活動では、人生のさまざまな課題に挑戦しながら、唱題の実践によって、自身を深く見つめ、内なる希望と挑戦する 勇気を引き出すとともに、人間性あふれる価値観を確立し、豊かな人格の完成を図っていきます。この実践を「人間革命」と呼んでいます。
学会員は、日常的な対話や会合などで日蓮大聖人の御書や池田先生の指導などを学び、それぞれの実践体験を語り合い、 互いに励まし合い、支え合いながら活動しています。
自らの信仰体験や仏法思想を友人・知人に語り、仏法という生命の法理と創価の人間主義の運動への理解・共感を広げ、 同志のスクラムを拡大していけるのです。
仏法西還ーー世界広宣流布
日蓮仏法の実践は、どこまでも自他共の幸福の実現を目指します。
”よき市民”として、それぞれが属する共同体への貢献を大切にします。それぞれの家庭・地域・職場における役割をしっかりと 果たし、なくてはならない存在として信頼を勝ち得ることを目指しています。
創価学会では、現代世界が抱える地球的問題群への取り組みも、積極的に行っています。世界各国での核兵器の廃絶を 訴える展示の開催や難民救援活動などを通し、平和の大切さと生命の尊厳、人権の尊重などを訴えています。環境展などを 通し、地球環境の保全への意識啓発を推進しています。
創価学会は、釈尊から日蓮大聖人にいたる人間主義の哲学と実践の系譜を再発見し、仏教の真髄として認識し、尊重する とともに、その伝統と精神を現代社会において継承し、未来に伝えていく活動を展開しています。納得と触発の対話を通して、 仏法の人間主義を各人の立場で実現していく人材群の輩出のために、たゆまぬ努力を続けているのです。
この人類の幸福と世界平和を実現しゆく運動を「広宣流布」と呼んでいます。
インドから東へと向かい、日本に伝わった仏教は、いま、日本から西へと還っていっています(仏教西還)。
仏法を基調とした人間主義の運動は、世界192ヵ国・地域に広がっています。
(大白蓮華 2023年7月号 より)