〇大白蓮華メモ
2025年7月号<宝の未来部の君たちへ 池田先生の指針から> 祈って、努力していけば、心の奥底のある願いは必ず叶っていきます。 題目の人は、最後は自分の思い描いた以上の大勝利の青春、そして人生を歩めるのです。
2025年7月号<[誌上座談会] 「福徳長寿の智慧」に学ぶ 第31回> 西方青年部長 「御義口伝」に、「宝塔即ち一切衆生、一切衆生即ち南無妙法蓮華経の全体なり」 と仰せです。この御聖訓を通し、池田先生は、このように語られています。 「『法華経』に説かれる、大地より湧現した巨大で荘厳な宝塔は、実は一切衆生、すなわち 民衆一人ひとりの生命そのものなのだ。人種も、民族も、出自も、職業も関係なく、 ありのままの人間の姿が尊厳なる宝塔に他ならない。妙法の全体なのだ。 ゆえに誰一人、卑下する必要はない。誰一人、孤独な絶望の闇に置き去りにされては なたない。 『どうせ自分なんか』と自信を失った友に、『あなたこそ、最も尊い使命を持った、最も尊貴な 人なのだ』と励まし、ロマンと希望に満ちた凱歌の人生を共々に歩むための仏法なのだ」
2025年6月号<巻頭言 湧き出だせ!「負けじ魂」を ーーー闇を光に変える池田先生の信念 創価学会会長 原田稔> ・・・・ 「学会がどうなるか、21世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が、 必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」 ・・・・
2025年5月号<巻頭言 師弟の大道を威風も堂々と ーーー 不ニの心で立つ池田門下であれ 創価学会会長 原田稔> 池田大作先生の偉大さに、師でありながら「弟子であり続けた」という点がある。 師の教えを忘れ、慢心を起こす人間もいる。だが先生は、第3代会長に就任されて以降も、 常に胸中で恩師・戸田先生と対話されていた。生涯成長、生涯青春の日々であられたのだ。 ・・・・
2024年9月号<若き日の日記 池田大作 昭和25年(1950年)> 5月22日(月)晴れ ・・・・一日中、仕事に励む。働くことは貴い。要領のみで生きる人は、 泥棒のような場合と等しい。
2024年8月号<研修教材 四条金吾殿御返事(八風抄)> ・・・・だんなと師とおもいあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。 まただんと師とをもっておかしてとしひさしき人々の御いのりは、 叶い候わね上、我が身もだんなもほろび候なり。・・・ 「通解」檀那(弟子)と師匠の思いが合わない祈りは、水の上で火を焚く ようなものである。また、檀那と師匠の思いが合っていたとしても、 長年にわたって正法を劣った法をもって犯した人々の祈りは、叶わない ばかりか、わが身も檀那も共に滅びてしまうのである。
会うことが、 「人間革命」の戦いである! 語ることが、 「広宣流布」の第一歩である!
2024年7月号 <励ましの力>
あらゆる人と勇んで会い、 誠実に、賢く、粘り強く、 語って語って 語り抜いていくことだ。
会うことが、 「人間革命」の戦いである! 語ることが、 「広宣流布」の第一歩である!
2024年7月号 <人間主義の哲学の光彩 池田先生の講義に学ぶ 第7回「一人ひとり」に希望を、勇気を、励ましを>
<仏に「やすやすと」なる道> ・・・「仏になる道」とは、一人の人間を、幸福と勝利の軌道に 間違いなく乗せていくことです。・・・
<「指導」「教育」「訓練」「擁護」> ・・・戸田先生から教わった人材育成の四本柱があります。 指導ーー相手の幸せのために、弱い心、臆病な心を戒めていくこと。 教育ーー範を示し、共に行動を起こすこと。 訓練ーー信じて、任せて、実践させてみること。 擁護ーー結果はどうあれ、その奮闘を評価し、讃え、守ること。 ・・・
2024年7月号 <子どもに夢を!未来に希望を!>
「戸田は、未来を担う子どもたちが、軍国主義教育に歪められ、 偏狭なものの見方、考え方に凝り固まっていくことを深刻に憂えた。 ”子どもたちは、他国の優れた文化や産業、国民性も知らぬまま に育とうとしている。このまま排他性に染まり、国のために戦い、 死ぬことにみを美徳とするようになれば、子どもたちの人生を狂わせて しまう。そうなれば、国の未来もあまりにも暗い” 戸田は、一個の人間として、また仏法者の良心のうえからも、 この事態を打開する何らかの戦いを開始しなければならないと考えた。 そして、少年少女が世界に視野を広げ、物事の真実を見極める 目を培える雑誌を発刊することを思い立ったのである。」
2024年6月号> 草木は雨ふればさかう。 人は善根をなせば必ずさかう。 (「日蓮大聖人御書全集 新版」1897ページ)
<励ましの力> 仏法は、人類を救う「希望の太陽」であり、 万人が、人生の荒波を乗り越え、 勝ち超えるための「精神の灯台」である。 御書には、その慈悲と智慧の大光が輝いている。 (「池田大作全集」第130巻<御書根本」の正道>から抜粋)
<仏法は「師弟」で決まる 師と共に成仏の直道を (池田先生の指導)> 悪知識は人々の生命の無明、すなわち貪瞋痴の三毒の生命を助長させます。 それが、悪知識の恐ろしさです。したがって、悪を容認してしまえば、結局、 多くの人々が苦悩を抱え、辛酸をなめることになります。 仏法が、人間の尊厳性を開く教えである以上、人間蔑視、差別主義、生命破壊の 悪の思想とは断固、戦い抜かなければ、真の善の行為となりません。 仏法上の悪と戦わなければ、自身の成仏もありえません。
2024年4月号<今世の勝利が三世を決める進む続ける不退転の信心を> ・・・日蓮仏法の三世の因果の捉え方は、どこまでも「現在」に焦点が当てられて いるといえます。この御文の前には「臨終只今にあり」とあります。 ”今”を大切に、生命を燃焼させて、価値ある一日一日を悔いなく生き抜く 重要性を教えられています。”今”を真剣に戦うことが、三世の勝利を決定づける。 ・・・・
2024年月号<人間主義の哲学の光彩> ・・・「負けじ魂」を貫く上での第一の要諦は「自分自身を信じ抜く」ことです。 自身の本有の仏性を、何があっても疑わず信じ抜くこと。これが「負けじ魂」を 持つ信仰者の根本条件です。・・・・
〇大白蓮華メモ
2021年12月号<仏法哲理の泉> 「諸法実相」悟った仏とは、どういう仏かーーー大聖人は仰せです。 「本末究竟と申すは本とは悪のね善の根・末と申すは悪のをわり善の終りぞかし、 善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり」と。
〇大白蓮華メモ
2021年07月号<2021 誌上セミナー 一般社団法人ソーシャル・デザイン代表理事 長沼博之さん> [第二の枢軸時代] これからの時代、AIやロボット、バイオテクノロジーなどの技術革新はますます注目されます。 経済革命や社会制度の変革もあるかもしれません。しかし、22世紀から振り返った時、21世紀最大の 出来事は、「SGI(創価学会インタナショナル)による仏法文明の誕生」と言われると、私は確信しています。 ・・・・・ 現代は「枢軸時代」に誕生した宗教、思想の価値が薄れた「科学技術の時代」です。今、それを基盤に 築かれた”企業文明”の終わりが到来し、いよいよ「第二の枢軸時代」の本流となる、生命中心の仏法文明時代の 入口に立っているのだと思います。
2021年07月号<池田大作先生の講義 世界を照らす太陽の仏法 第75回 兄弟抄ーーー学会の伝統「難を乗り越える信心」> [自分を否定し、貶めてはならない!自身の尊厳性、可能性を信じ抜こう] 〇仏の生命を信じ切れない迷い〇 大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕れたり」と、その本質は「元品の無明」 であるとされています。 「元品の無明」とは、私たちの生命に潜む「根源的な迷い」のことです。 無明とは、文字通り”明るく無い”、すなわち、真理に暗いこと、根本的な無知のことです。 自分自身が本来、妙法そのものであること、つまり、仏の生命が具わっている尊い存在であると 信じられないことです。 したがって、第六天の魔王といっても、私たちの外側に、何か特別な姿をして存在しているのでは ありません。言うならば、自分自身の尊厳性、可能性を信じられない迷いの心そのものです。 その心に支配されてしまえば、自分で自分を否定し、貶め、破れていくことになる。 それが第六天の魔王の働きです。ですから断じて魔王の家来になってはならない。 〇信心の利剣が魔を打ち破る〇 では、この第六天の魔王に打ち勝つ力は何かーー。 「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」とあるように、「信心」の利剣しかありません。 とあるように、「信心」の利剣しかありません。”魔に負けてなるものか!”と、 魔の本質を鋭く見破って強盛な信心を奮い起こし御本尊に題目を唱え、立ち向かっていく時、 自身の内なる仏界が開き現れ、必ず魔を打ち破ることができるのです。
2021年05月号<池田大作先生の講義 世界を照らす太陽の仏法 第73回 「一人を大切に!」ーーーここに広布の共線譜あり> [無明]生命の根源的な無知。究極の真実を明かした妙法を信じられず理解できないおろかさ、 また、その無知から起こる暗い衝動。
2021年01月号<世界を照らす太陽の仏法> ”地上を踏みしめて一歩一歩” 本年は、創立の父・牧口常三郎先生が誕生されて150周年です。 ・・・先生は、”天上を仰いで歩むよりは、地上を踏みしめて、一歩一歩進め”と、創価宵育の モットーを示されてもいます。現実の生活の大地を踏みしめて、前進し勝利する。ここに、 漠然たる夢想ではない、確かな人生の宝である希望が輝きます。 2019年07月号 創価学会こそ、国家、社会を支える黄金の柱だ
ーーー「会長講演」で、伸一は強調した。「権力には、人間を支配し、隷属化させようという 魔性があり、民衆勢力の台頭を必ずや阻もうとします。ゆえに、民衆が賢明になり、強くなることです。 民衆が”王”となる、真の民主主義の時代を築く戦いが、私どもの広宣流布であり、その大リーダー こそが、皆様なのであります」また、「種々御振舞御書」の「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、 たとえば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり」の御文を排し、訴えた。 「教育にせよ、政治にせよ、そこには人間の考え方が反映されている。そして、その考えの根本と なるのが宗教です。ゆえに宗教は、時代、社会を決定づけていきます。では、人間疎外が指摘され、 公害が蔓延し、混沌とした現代社会を救いゆく教えは何か。--それは、日蓮大聖人の生命の 大法理しかない。その法理のもと、人間主義の旗を掲げ、社会の建設に立ち上がったわが創価学会こそ、 国家、社会を支える黄金の”柱”なのであります。 どうか、私たちの宗教運動、民衆運動こそ、人間を蘇生させ、社会と時代にみずみずしい活力を 与えることができる。唯一の力であることを確信していただきたい。そして、皆が心を合わせ、 一波が万波を呼ぶように、さらに大きな広宣流布の潮流を起こそうではありませんか」 ーーーー
2018年11月号 池田大作先生の講義 世界を照らす太陽の仏法
ーーーある時、阿難は釈尊に尋ねました。「私どもが善き友を持ち、善き友と一緒に進むことは、 すでに仏道の半はを成就したに等しいと思われます。この考え方は、正しいでしょうか」 それに対して、釈尊は明確に答えました。「阿難よ。その考え方は、正しくない。善き友を持ち、 善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである」とーーーー
2018年07月号 輝く青春の宝珠ーー池田大作先生の指導に学ぶ
Q「善と悪を、どのように判断していけばよいのでしょうか」 A「そもそも、善悪とは何かーー人間にとって、永遠にわたる、重大な問題といってよい。 そうしたなかにあって、ただ一つ、明快に言えることは「南無妙法蓮華経」こそが善のなかの 善だということです。 南無妙法蓮華経は、宇宙を貫く、永遠不変の大法則です。「法則」であるゆえに、 だれがつくったものではない。変えようのない。「真理」です。 森羅万象は、すべて妙法にのっとっている。生命には十界がある。私たちの生命には、 仏界がそなわっている。仏界は「つくる」ものではありません。自分の生命から「涌現」するのです。 そのために御本尊があるのです。そして、妙法を信受して、広布に生きる人生こそが、 最高の善ーー極善なのです」 ・・「以上、少しむずかしかったかもしれないが、本源的な次元、そして宇宙的な次元から、善悪の 根本について述べました。 そのうえで私が申し上げたいのは、「人を殺すことは、絶対に悪だ」ということである。 どんなことがあっても、人を殺すことは、あってはならない。 反対に、「人を救っていこう。世界を平和の方向にもっていこう」と行動することは、正義であり、 善なのです。」 ・・「善と悪については古今東西、さまざまな哲学的議論がある。 それをたどることは今はしないが、ともかく「生命こそ目的であり、生命を手段にしてはならない」。 これが大前提です。 その尊極の生命をより豊かにし、より輝かせるのが善。生命を委縮させ、手段にするのが悪と言える でしょう。 また、「結合は善」「分断は悪」です。 ゆえに最高善は、人々の仏界を開くことであり、人々の善意を結びつけることです。仏法を基調とした 平和・文化・教育の運動、すなわち広宣流布の運動こそ最高善なのです」
2018年06月号 世界を照らす 太陽の仏法
幸福の敵は、自己を卑下する心です。困難にうちのめされ、挑戦せずして、あきらめてしまえば、 そこから不幸の連鎖が始まってしまうのです。・・仏法を学ぶといっても。自分自身のことと 捉えなえれば、観念に終わってしまう。・・”負の連続”を断ち切る利剣が、妙法です。題目です。 信心の一念によって、不幸から幸福へと大転換を起こしていくことができるのです。
2018年04月号 教学入門
三証
日蓮大聖人の仏法は、理論のうえでも、現実の上でも、万人が納得できる客観的、普遍的な根拠を 持つ宗教なのです。
<巻頭言 未来まで栄光ひらく一年に>・・牧口先生・・57歳で実践を開始した先生は 「言語に絶する歓喜」をもって、それまでの生活を一新し、「暗中模索の不安」や「生来の 引っ込み思案」も一掃できたと感激し、感謝しておられる。「随喜するは信心なり信心するは 随喜なり」という地涌の生命の躍動が、ここにある。
2018年01月号 池田大作先生の指導選集「幸福と平和を作る智慧」
広宣流布は未来部で決まる
牧口先生は、人間教育に臨む心構えを語られた。「自身が尊敬の的たる王座を降って、口座に向かうものを 指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて手本に導く伴侶となる」大切なことは、若き生命を ”一個の人格”として最大に尊重していくことである。・・
私・・「苗を植えなければ、木は育たない。大樹が必要な時になって苗を植えても、手遅れだ。 手を打つべき時を逃してはならない」と。
2017年12月号 私たちが見つめているのは21世紀、22世紀、23世紀、末法万年である。 21世紀の前半は、「第2の七つの鐘」を打ち鳴らしながら、東洋をはじめ世界の平和の基盤をつくって まいりたい。「生命の世紀」--21世紀の後半は、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、 世界精神へと定着したい。 22世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたいと思っている。 その基盤の上に、22世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が咲いていくであろう。
2017年11月号 多くの学会員が、信心を根本に人生の課題に挑戦し、乗り越えていこうと 奮闘しています。その姿勢に「勝ち組」「負け組」などありません。仏法には敗者などいません。 何があっても、自身の可能性を最大に発揮し、自らの人生を幸福で彩っていくーー。 そのための信仰です。
2017年4月号 ○牧口先生が教育者として、また宗教者として、生涯をかけて追求した点・・
牧口先生が、一生を通じて追求されたものは何か。私どもの初代会長は、何を為そうとされていたのか。
それは「民衆を利口にすること」であった。民衆が、自分自身の知恵を開発し、その知恵で幸福になる ことをめざされた。そのために「教育革命(教育改造)」を唱えられ、やがて、根本的には「宗教革命」が 必要だと悟られた。その道を、まっしぐらに進まれ、そして殉教ーーー。
牧口先生が一貫して改善しようとされたのは、「権威に従順な民衆の卑屈さ」であった。そして、民衆の 卑屈と無知を改善するどころか、それを助長し、利用し、つけこむ「指導者の利己主義」を憎み、 戦われた。
また、人間の実際生活に根ざさない空理空論を、つねに批判された。”自分で考えない””人まかせにする” ”黙って権威に従う”ーーーこれが昔からの民衆の態度であったと、牧口先生は言われるのである。
一方、こういう従順さにつけこみ、指導者のほうは民衆を見くびって、”われわれの言うことを黙って聞いて いればよいのだ”と、ますます権威主義になる。
こうして民衆は、指導者に盲従させられる。これが今までの日本の歴史であった。まさに「知らしむべからず、 依らしむべし」の権威主義である。
ゆえに「生活に学問なく、学問に生活なく」、生活も学問も、ともに貧しい。これが日本社会のゆがみであった。
牧口先生は、これを変えようとなされた。「もはや、そんな時代ではない」と。権威が何だ、地位がなんだ、 有名人が何だ、学歴主義が何だ。そんなものより民衆が大事だ。真理を知り、価値を生んで民衆を幸せに することが大事だ。そうではないか。そのための学問であり、そのための指導者であり、宗教ではないのか。 そうわかれば、これまでの不幸な状態は即刻、改善すべきではないか。
牧口先生の大音声は、今もなお鋭く社会に轟く。
2017年2月号 釈尊の十大弟子
①舎利弗。智慧第一といわれた。外道の弟子であったが目連とともに釈尊に帰依した。 釈尊の代わりに説法ができるほどの優れた弟子であったが、釈尊よりも早くなくなっている。
②迦葉。頭陀第一。彼は地味で人気はない。しかし、頭陀(厳格な戒律の修行)に優れ、重厚な 人格者であったと想像される。この地味な人が、釈尊入滅後の教団維持の要となる。
③阿難。多聞第一。釈尊に常随給仕した弟子で、仏の説法をもっとも多く聞いていた。 温和でやさしい好青年であり、女性の出家の希望を釈尊に取り次いだ。
④須菩提。解空第一。よく空を悟ったことから、この名で呼ばれる。穏やかな気性で、だれと でも仲がよく、いわば”人格円満”なタイプであったようだ。
⑤富楼那。説法第一。雄弁の人であった。
⑥目連。神通第一。神通には、神足通の意味もあり、十方に往来できる能力をさす。コンビの 舎利弗が”思考派”であったのに対し、彼はいわば直観力とパッション(情熱)に富んだ ”行動派”であった。
⑦迦せんねん。論議第一。”理論派”で、他宗教との論争、釈尊の教えの解説などで活躍した。
⑧阿なりつ。天元第一。釈尊の説法中に居眠りをし、釈尊に叱責される。反省した彼は以後、 眠らない修行を続け、無理が高じて盲目になった。肉体の眼を失ったが、人よりはるかに 深い洞察力や判断力をそなえた天眼を得た。
⑨優波離(うばり)。持律第一。当時のインドの下層階級の出身で、特別な力量はなかったが、 釈尊の教えを篤実に持ち守った。いわば”庶民派”の代表である。
⑩らごら。密行第一。密行とは、綿密な修行、正確な修行の意である。彼は釈尊の出家前の実の子どもで、 15歳で修行を始める。釈尊の子ということで苦労もするが、その分、こまかな点まで気がつき、だれもが 認めざるをえない存在となった。
2017年1月号 世界を照らす 太陽の仏法
21世紀の宗教は、いかなる中心的価値を機軸に持つべきでしょう。私は、それは「人間主義の宗教」であり、 「人間革命の宗教」であると訴えたい。・・・・はたして宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、 人間を善くするのか、悪くするのか、人間を賢くするのか、愚かにするのか、と。この視点を、今なお、いな、 今こそ、いよいよ大切にしていきたい。
2016年7月号 世界を照らす 太陽の仏法
「人の生涯はその思想のいかんによって決定される」とは、トルストイの洞察です。・・・ 私たちが偉大な生命哲学を抱き前進していけば、社会の根底の精神土壌が変わります。だからそこ、 最も根源的な変革へ、共戦の炎を胸中に燃やしていくのです。今や、末法の闇を晴らす、「太陽の仏法」 が世界中で輝き、社会を照らし初めています。
2016年6月号(質問会から)
<責任感から智慧が湧く>責任感の強い人は智慧が湧き、自分の与えられた使命を果たすために、どんどん 良い考えが出てくる。反対に、責任回避の人は、悪智慧は出てくるが、正しい智慧は湧いてきません。
2016年2月号
フランスの思想家ルソーも喜びの本質は「自他共に」という、広々とした精神にあることを見出した一人です。 彼は「楽しみをひとり占めするのをやめるがいい」と主張しました。「楽しみは、人々が一緒に楽しめるように すればするほど、いつでもいっそう純粋に楽しめることになる」というのです。
2015年8月号
「正しい人生とは何ぞや、と考えるのもよい。しかし、考える暇に、大聖人の仏法を実践してごらんなさい。 青年じゃありませんか。必ずいつか、自然に、自分が正しい人生を歩んでいることを、発見するでしょう。 私は、これだけは間違いないといえます。」戸田先生
2015年3月号
「ほかの人の身になって創造力を働かせることが正義の基本」ナイジェリアの作家ウォレ・ショインカ
2015年1月号
100年前、フランスの文豪ロマン・ロランは、まるで「戦争の宿命は一切の意志より強い」という「古い極まり文句」に煽られるように、 各国が雪崩をうって参戦し第一次世界大戦に突入していく中で、激烈な抗議の声を発しました。「決して宿命はない!私たちが欲することだ。 それはまた、よりしばしば、私たちの意欲がたりないということだ」ロランは、国家指導者や知識人が、”これが運命”とばかり戦争迎合の 時流にのみ込まれていく無責任な姿を、断固として拒否したのです。
2014年12月号
内なる心の世界は、広大無辺であり、ダイナミックです。この「心の不思議」を、天台大使が緻密に整理して『魔訶止観』で説いたのが 「一念三千」の法門といえます。 「一念」--すなわち凡夫の一瞬の生命に、「三千諸法」--すなわち森羅万象が具わっている。-- すなわち森羅万象が具わっている。それゆえに、一念が三千へと遍満していく。 わが一念が変われば、自身が変わる。否、わが一念を変え、 自身と環境を変えていく。 否、わが一念を変え、自身と環境を変えていく。 これが一念三千の仏法です。 ゆえに、自身の一念が何を 目指しているかという「志ざし」によって一切が決まっていくのです。 万人成仏の妙法を信じ、実践するという信心に、「志ざし」が 定まれば、胸中の仏界が開き顕され、自身と環境に遍満していくのです。
2014年11月号
1975年11月、私は広島で、原爆慰霊碑に花を捧げ、この折の本部総会で訴えました。「創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの 外的拘束力をもって人間の尊厳を冒し続ける”力”に対する、内なる生命の深みより発する”精神”の戦いであると位置づけておきたい」
2014年10月号
「御義口伝」には、「自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである」 と仰せである。
・・・
法華経には、「三界は安きこと無し 猶お火宅の如し 衆苦は充満して 甚だ怖畏す可し」と説かれる。とりわけ末法に入り、天変地異が重なる世には、 心の広い人も狭くなり、道を求める心を持つ人さえも邪見になってしまうと、御書には喝破されている。
2014年9月号
「法華経の敵」とは、人間の可能性を否定し、万人の尊極性を認めず、人々を無気力にして、不幸へと陥れる思想です。民衆を苦しめる元凶とは断固、 戦う。それが大聖人の破折の精神です。(勝利の経典「御書」に学ぶ。)
2014年8月号
池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」第一部幸福への指針 第4章「悩を突き抜け歓喜へ」
(4-3)どんな苦悩も変毒為薬できる
(4-4)未来を開く「本因妙」の仏法
日蓮大聖人の仏法は、人間を過去に縛るのではなく、つねに現在を出発点として未来に向けて前進させていく「本因妙」の大法である
すなわち仏となる根本の”因”を妙法蓮華経と明かされた、ただご本尊の受持のみによって、仏の「因行」も「果徳」もすべて今世で得ていかれる と教えられた、画期的な大法である。どこまでも未来を志向し、未来を煌々と照らし進みゆく。ここに「現当二世」の大聖人の仏法の真髄がある。
(4-5)何があっても喜んでいける人生
2014年7月号
池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」第一部幸福への指針 第4章「苦悩を突き抜け歓喜へ」
信仰とは限りない希望の異名です。
(4-1)人生の勝利劇の主人公は自分自身
(4-2)煩悩の「薪」で幸福の「炎」を
2014年8月号
池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」第一部幸福への指針 第3章「生命変革の実践」
生命変革の最も基本的な実践となる勤行について示していきます。
(3-1)勤行は大宇宙と交流する儀式
(3-2)民衆に開かれた修行
(3-3)唱題は人生に勝利する力
(3-4)法華経の要は方便品・寿量品に
(3-5)勤行が生命を清浄に
(3-6)変革は祈りから始まる
(3-7)「大切なのは、あげる姿勢?それとも、あげる数?」
(3-8)「どうすれば、いつも意欲的に祈れるか?」
(3-9)「頑張っても悩みが解決できないが・・・」
(3-10)「勤行ができなかったが・・・・」
(3-11)「経文や題目の意味がわからない・・・」
2025年7月号<宝の未来部の君たちへ 池田先生の指針から> 祈って、努力していけば、心の奥底のある願いは必ず叶っていきます。 題目の人は、最後は自分の思い描いた以上の大勝利の青春、そして人生を歩めるのです。
2025年7月号<[誌上座談会] 「福徳長寿の智慧」に学ぶ 第31回> 西方青年部長 「御義口伝」に、「宝塔即ち一切衆生、一切衆生即ち南無妙法蓮華経の全体なり」 と仰せです。この御聖訓を通し、池田先生は、このように語られています。 「『法華経』に説かれる、大地より湧現した巨大で荘厳な宝塔は、実は一切衆生、すなわち 民衆一人ひとりの生命そのものなのだ。人種も、民族も、出自も、職業も関係なく、 ありのままの人間の姿が尊厳なる宝塔に他ならない。妙法の全体なのだ。 ゆえに誰一人、卑下する必要はない。誰一人、孤独な絶望の闇に置き去りにされては なたない。 『どうせ自分なんか』と自信を失った友に、『あなたこそ、最も尊い使命を持った、最も尊貴な 人なのだ』と励まし、ロマンと希望に満ちた凱歌の人生を共々に歩むための仏法なのだ」
2025年6月号<巻頭言 湧き出だせ!「負けじ魂」を ーーー闇を光に変える池田先生の信念 創価学会会長 原田稔> ・・・・ 「学会がどうなるか、21世紀を見てください。社会に大きく貢献する人材が、 必ず陸続と育つでしょう。その時が、私の勝負です!」 ・・・・
2025年5月号<巻頭言 師弟の大道を威風も堂々と ーーー 不ニの心で立つ池田門下であれ 創価学会会長 原田稔> 池田大作先生の偉大さに、師でありながら「弟子であり続けた」という点がある。 師の教えを忘れ、慢心を起こす人間もいる。だが先生は、第3代会長に就任されて以降も、 常に胸中で恩師・戸田先生と対話されていた。生涯成長、生涯青春の日々であられたのだ。 ・・・・
2024年9月号<若き日の日記 池田大作 昭和25年(1950年)> 5月22日(月)晴れ ・・・・一日中、仕事に励む。働くことは貴い。要領のみで生きる人は、 泥棒のような場合と等しい。
2024年8月号<研修教材 四条金吾殿御返事(八風抄)> ・・・・だんなと師とおもいあわぬいのりは、水の上に火をたくがごとし。 まただんと師とをもっておかしてとしひさしき人々の御いのりは、 叶い候わね上、我が身もだんなもほろび候なり。・・・ 「通解」檀那(弟子)と師匠の思いが合わない祈りは、水の上で火を焚く ようなものである。また、檀那と師匠の思いが合っていたとしても、 長年にわたって正法を劣った法をもって犯した人々の祈りは、叶わない ばかりか、わが身も檀那も共に滅びてしまうのである。
会うことが、 「人間革命」の戦いである! 語ることが、 「広宣流布」の第一歩である!
2024年7月号 <励ましの力>
あらゆる人と勇んで会い、 誠実に、賢く、粘り強く、 語って語って 語り抜いていくことだ。
会うことが、 「人間革命」の戦いである! 語ることが、 「広宣流布」の第一歩である!
2024年7月号 <人間主義の哲学の光彩 池田先生の講義に学ぶ 第7回「一人ひとり」に希望を、勇気を、励ましを>
<仏に「やすやすと」なる道> ・・・「仏になる道」とは、一人の人間を、幸福と勝利の軌道に 間違いなく乗せていくことです。・・・
<「指導」「教育」「訓練」「擁護」> ・・・戸田先生から教わった人材育成の四本柱があります。 指導ーー相手の幸せのために、弱い心、臆病な心を戒めていくこと。 教育ーー範を示し、共に行動を起こすこと。 訓練ーー信じて、任せて、実践させてみること。 擁護ーー結果はどうあれ、その奮闘を評価し、讃え、守ること。 ・・・
2024年7月号 <子どもに夢を!未来に希望を!>
「戸田は、未来を担う子どもたちが、軍国主義教育に歪められ、 偏狭なものの見方、考え方に凝り固まっていくことを深刻に憂えた。 ”子どもたちは、他国の優れた文化や産業、国民性も知らぬまま に育とうとしている。このまま排他性に染まり、国のために戦い、 死ぬことにみを美徳とするようになれば、子どもたちの人生を狂わせて しまう。そうなれば、国の未来もあまりにも暗い” 戸田は、一個の人間として、また仏法者の良心のうえからも、 この事態を打開する何らかの戦いを開始しなければならないと考えた。 そして、少年少女が世界に視野を広げ、物事の真実を見極める 目を培える雑誌を発刊することを思い立ったのである。」
2024年6月号> 草木は雨ふればさかう。 人は善根をなせば必ずさかう。 (「日蓮大聖人御書全集 新版」1897ページ)
<励ましの力> 仏法は、人類を救う「希望の太陽」であり、 万人が、人生の荒波を乗り越え、 勝ち超えるための「精神の灯台」である。 御書には、その慈悲と智慧の大光が輝いている。 (「池田大作全集」第130巻<御書根本」の正道>から抜粋)
<仏法は「師弟」で決まる 師と共に成仏の直道を (池田先生の指導)> 悪知識は人々の生命の無明、すなわち貪瞋痴の三毒の生命を助長させます。 それが、悪知識の恐ろしさです。したがって、悪を容認してしまえば、結局、 多くの人々が苦悩を抱え、辛酸をなめることになります。 仏法が、人間の尊厳性を開く教えである以上、人間蔑視、差別主義、生命破壊の 悪の思想とは断固、戦い抜かなければ、真の善の行為となりません。 仏法上の悪と戦わなければ、自身の成仏もありえません。
2024年4月号<今世の勝利が三世を決める進む続ける不退転の信心を> ・・・日蓮仏法の三世の因果の捉え方は、どこまでも「現在」に焦点が当てられて いるといえます。この御文の前には「臨終只今にあり」とあります。 ”今”を大切に、生命を燃焼させて、価値ある一日一日を悔いなく生き抜く 重要性を教えられています。”今”を真剣に戦うことが、三世の勝利を決定づける。 ・・・・
2024年月号<人間主義の哲学の光彩> ・・・「負けじ魂」を貫く上での第一の要諦は「自分自身を信じ抜く」ことです。 自身の本有の仏性を、何があっても疑わず信じ抜くこと。これが「負けじ魂」を 持つ信仰者の根本条件です。・・・・
〇大白蓮華メモ
2021年12月号<仏法哲理の泉> 「諸法実相」悟った仏とは、どういう仏かーーー大聖人は仰せです。 「本末究竟と申すは本とは悪のね善の根・末と申すは悪のをわり善の終りぞかし、 善悪の根本枝葉をさとり極めたるを仏とは申すなり」と。
〇大白蓮華メモ
2021年07月号<2021 誌上セミナー 一般社団法人ソーシャル・デザイン代表理事 長沼博之さん> [第二の枢軸時代] これからの時代、AIやロボット、バイオテクノロジーなどの技術革新はますます注目されます。 経済革命や社会制度の変革もあるかもしれません。しかし、22世紀から振り返った時、21世紀最大の 出来事は、「SGI(創価学会インタナショナル)による仏法文明の誕生」と言われると、私は確信しています。 ・・・・・ 現代は「枢軸時代」に誕生した宗教、思想の価値が薄れた「科学技術の時代」です。今、それを基盤に 築かれた”企業文明”の終わりが到来し、いよいよ「第二の枢軸時代」の本流となる、生命中心の仏法文明時代の 入口に立っているのだと思います。
2021年07月号<池田大作先生の講義 世界を照らす太陽の仏法 第75回 兄弟抄ーーー学会の伝統「難を乗り越える信心」> [自分を否定し、貶めてはならない!自身の尊厳性、可能性を信じ抜こう] 〇仏の生命を信じ切れない迷い〇 大聖人は「元品の無明は第六天の魔王と顕れたり」と、その本質は「元品の無明」 であるとされています。 「元品の無明」とは、私たちの生命に潜む「根源的な迷い」のことです。 無明とは、文字通り”明るく無い”、すなわち、真理に暗いこと、根本的な無知のことです。 自分自身が本来、妙法そのものであること、つまり、仏の生命が具わっている尊い存在であると 信じられないことです。 したがって、第六天の魔王といっても、私たちの外側に、何か特別な姿をして存在しているのでは ありません。言うならば、自分自身の尊厳性、可能性を信じられない迷いの心そのものです。 その心に支配されてしまえば、自分で自分を否定し、貶め、破れていくことになる。 それが第六天の魔王の働きです。ですから断じて魔王の家来になってはならない。 〇信心の利剣が魔を打ち破る〇 では、この第六天の魔王に打ち勝つ力は何かーー。 「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」とあるように、「信心」の利剣しかありません。 とあるように、「信心」の利剣しかありません。”魔に負けてなるものか!”と、 魔の本質を鋭く見破って強盛な信心を奮い起こし御本尊に題目を唱え、立ち向かっていく時、 自身の内なる仏界が開き現れ、必ず魔を打ち破ることができるのです。
2021年05月号<池田大作先生の講義 世界を照らす太陽の仏法 第73回 「一人を大切に!」ーーーここに広布の共線譜あり> [無明]生命の根源的な無知。究極の真実を明かした妙法を信じられず理解できないおろかさ、 また、その無知から起こる暗い衝動。
2021年01月号<世界を照らす太陽の仏法> ”地上を踏みしめて一歩一歩” 本年は、創立の父・牧口常三郎先生が誕生されて150周年です。 ・・・先生は、”天上を仰いで歩むよりは、地上を踏みしめて、一歩一歩進め”と、創価宵育の モットーを示されてもいます。現実の生活の大地を踏みしめて、前進し勝利する。ここに、 漠然たる夢想ではない、確かな人生の宝である希望が輝きます。 2019年07月号 創価学会こそ、国家、社会を支える黄金の柱だ
ーーー「会長講演」で、伸一は強調した。「権力には、人間を支配し、隷属化させようという 魔性があり、民衆勢力の台頭を必ずや阻もうとします。ゆえに、民衆が賢明になり、強くなることです。 民衆が”王”となる、真の民主主義の時代を築く戦いが、私どもの広宣流布であり、その大リーダー こそが、皆様なのであります」また、「種々御振舞御書」の「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、 たとえば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり」の御文を排し、訴えた。 「教育にせよ、政治にせよ、そこには人間の考え方が反映されている。そして、その考えの根本と なるのが宗教です。ゆえに宗教は、時代、社会を決定づけていきます。では、人間疎外が指摘され、 公害が蔓延し、混沌とした現代社会を救いゆく教えは何か。--それは、日蓮大聖人の生命の 大法理しかない。その法理のもと、人間主義の旗を掲げ、社会の建設に立ち上がったわが創価学会こそ、 国家、社会を支える黄金の”柱”なのであります。 どうか、私たちの宗教運動、民衆運動こそ、人間を蘇生させ、社会と時代にみずみずしい活力を 与えることができる。唯一の力であることを確信していただきたい。そして、皆が心を合わせ、 一波が万波を呼ぶように、さらに大きな広宣流布の潮流を起こそうではありませんか」 ーーーー
2018年11月号 池田大作先生の講義 世界を照らす太陽の仏法
ーーーある時、阿難は釈尊に尋ねました。「私どもが善き友を持ち、善き友と一緒に進むことは、 すでに仏道の半はを成就したに等しいと思われます。この考え方は、正しいでしょうか」 それに対して、釈尊は明確に答えました。「阿難よ。その考え方は、正しくない。善き友を持ち、 善き友と一緒に進むということは、仏道の半ばではなく、仏道の全てなのである」とーーーー
2018年07月号 輝く青春の宝珠ーー池田大作先生の指導に学ぶ
Q「善と悪を、どのように判断していけばよいのでしょうか」 A「そもそも、善悪とは何かーー人間にとって、永遠にわたる、重大な問題といってよい。 そうしたなかにあって、ただ一つ、明快に言えることは「南無妙法蓮華経」こそが善のなかの 善だということです。 南無妙法蓮華経は、宇宙を貫く、永遠不変の大法則です。「法則」であるゆえに、 だれがつくったものではない。変えようのない。「真理」です。 森羅万象は、すべて妙法にのっとっている。生命には十界がある。私たちの生命には、 仏界がそなわっている。仏界は「つくる」ものではありません。自分の生命から「涌現」するのです。 そのために御本尊があるのです。そして、妙法を信受して、広布に生きる人生こそが、 最高の善ーー極善なのです」 ・・「以上、少しむずかしかったかもしれないが、本源的な次元、そして宇宙的な次元から、善悪の 根本について述べました。 そのうえで私が申し上げたいのは、「人を殺すことは、絶対に悪だ」ということである。 どんなことがあっても、人を殺すことは、あってはならない。 反対に、「人を救っていこう。世界を平和の方向にもっていこう」と行動することは、正義であり、 善なのです。」 ・・「善と悪については古今東西、さまざまな哲学的議論がある。 それをたどることは今はしないが、ともかく「生命こそ目的であり、生命を手段にしてはならない」。 これが大前提です。 その尊極の生命をより豊かにし、より輝かせるのが善。生命を委縮させ、手段にするのが悪と言える でしょう。 また、「結合は善」「分断は悪」です。 ゆえに最高善は、人々の仏界を開くことであり、人々の善意を結びつけることです。仏法を基調とした 平和・文化・教育の運動、すなわち広宣流布の運動こそ最高善なのです」
2018年06月号 世界を照らす 太陽の仏法
幸福の敵は、自己を卑下する心です。困難にうちのめされ、挑戦せずして、あきらめてしまえば、 そこから不幸の連鎖が始まってしまうのです。・・仏法を学ぶといっても。自分自身のことと 捉えなえれば、観念に終わってしまう。・・”負の連続”を断ち切る利剣が、妙法です。題目です。 信心の一念によって、不幸から幸福へと大転換を起こしていくことができるのです。
2018年04月号 教学入門
三証
日蓮大聖人の仏法は、理論のうえでも、現実の上でも、万人が納得できる客観的、普遍的な根拠を 持つ宗教なのです。
<巻頭言 未来まで栄光ひらく一年に>・・牧口先生・・57歳で実践を開始した先生は 「言語に絶する歓喜」をもって、それまでの生活を一新し、「暗中模索の不安」や「生来の 引っ込み思案」も一掃できたと感激し、感謝しておられる。「随喜するは信心なり信心するは 随喜なり」という地涌の生命の躍動が、ここにある。
2018年01月号 池田大作先生の指導選集「幸福と平和を作る智慧」
広宣流布は未来部で決まる
牧口先生は、人間教育に臨む心構えを語られた。「自身が尊敬の的たる王座を降って、口座に向かうものを 指導する公僕となり、手本を示す主人ではなくて手本に導く伴侶となる」大切なことは、若き生命を ”一個の人格”として最大に尊重していくことである。・・
私・・「苗を植えなければ、木は育たない。大樹が必要な時になって苗を植えても、手遅れだ。 手を打つべき時を逃してはならない」と。
2017年12月号 私たちが見つめているのは21世紀、22世紀、23世紀、末法万年である。 21世紀の前半は、「第2の七つの鐘」を打ち鳴らしながら、東洋をはじめ世界の平和の基盤をつくって まいりたい。「生命の世紀」--21世紀の後半は、「生命の尊厳」の哲学を時代精神にし、 世界精神へと定着したい。 22世紀の前半には、世界の「恒久の平和」の崩れざる基盤をつくりたいと思っている。 その基盤の上に、22世紀の後半には、絢爛たる人間文化の花が咲いていくであろう。
2017年11月号 多くの学会員が、信心を根本に人生の課題に挑戦し、乗り越えていこうと 奮闘しています。その姿勢に「勝ち組」「負け組」などありません。仏法には敗者などいません。 何があっても、自身の可能性を最大に発揮し、自らの人生を幸福で彩っていくーー。 そのための信仰です。
2017年4月号 ○牧口先生が教育者として、また宗教者として、生涯をかけて追求した点・・
牧口先生が、一生を通じて追求されたものは何か。私どもの初代会長は、何を為そうとされていたのか。
それは「民衆を利口にすること」であった。民衆が、自分自身の知恵を開発し、その知恵で幸福になる ことをめざされた。そのために「教育革命(教育改造)」を唱えられ、やがて、根本的には「宗教革命」が 必要だと悟られた。その道を、まっしぐらに進まれ、そして殉教ーーー。
牧口先生が一貫して改善しようとされたのは、「権威に従順な民衆の卑屈さ」であった。そして、民衆の 卑屈と無知を改善するどころか、それを助長し、利用し、つけこむ「指導者の利己主義」を憎み、 戦われた。
また、人間の実際生活に根ざさない空理空論を、つねに批判された。”自分で考えない””人まかせにする” ”黙って権威に従う”ーーーこれが昔からの民衆の態度であったと、牧口先生は言われるのである。
一方、こういう従順さにつけこみ、指導者のほうは民衆を見くびって、”われわれの言うことを黙って聞いて いればよいのだ”と、ますます権威主義になる。
こうして民衆は、指導者に盲従させられる。これが今までの日本の歴史であった。まさに「知らしむべからず、 依らしむべし」の権威主義である。
ゆえに「生活に学問なく、学問に生活なく」、生活も学問も、ともに貧しい。これが日本社会のゆがみであった。
牧口先生は、これを変えようとなされた。「もはや、そんな時代ではない」と。権威が何だ、地位がなんだ、 有名人が何だ、学歴主義が何だ。そんなものより民衆が大事だ。真理を知り、価値を生んで民衆を幸せに することが大事だ。そうではないか。そのための学問であり、そのための指導者であり、宗教ではないのか。 そうわかれば、これまでの不幸な状態は即刻、改善すべきではないか。
牧口先生の大音声は、今もなお鋭く社会に轟く。
2017年2月号 釈尊の十大弟子
①舎利弗。智慧第一といわれた。外道の弟子であったが目連とともに釈尊に帰依した。 釈尊の代わりに説法ができるほどの優れた弟子であったが、釈尊よりも早くなくなっている。
②迦葉。頭陀第一。彼は地味で人気はない。しかし、頭陀(厳格な戒律の修行)に優れ、重厚な 人格者であったと想像される。この地味な人が、釈尊入滅後の教団維持の要となる。
③阿難。多聞第一。釈尊に常随給仕した弟子で、仏の説法をもっとも多く聞いていた。 温和でやさしい好青年であり、女性の出家の希望を釈尊に取り次いだ。
④須菩提。解空第一。よく空を悟ったことから、この名で呼ばれる。穏やかな気性で、だれと でも仲がよく、いわば”人格円満”なタイプであったようだ。
⑤富楼那。説法第一。雄弁の人であった。
⑥目連。神通第一。神通には、神足通の意味もあり、十方に往来できる能力をさす。コンビの 舎利弗が”思考派”であったのに対し、彼はいわば直観力とパッション(情熱)に富んだ ”行動派”であった。
⑦迦せんねん。論議第一。”理論派”で、他宗教との論争、釈尊の教えの解説などで活躍した。
⑧阿なりつ。天元第一。釈尊の説法中に居眠りをし、釈尊に叱責される。反省した彼は以後、 眠らない修行を続け、無理が高じて盲目になった。肉体の眼を失ったが、人よりはるかに 深い洞察力や判断力をそなえた天眼を得た。
⑨優波離(うばり)。持律第一。当時のインドの下層階級の出身で、特別な力量はなかったが、 釈尊の教えを篤実に持ち守った。いわば”庶民派”の代表である。
⑩らごら。密行第一。密行とは、綿密な修行、正確な修行の意である。彼は釈尊の出家前の実の子どもで、 15歳で修行を始める。釈尊の子ということで苦労もするが、その分、こまかな点まで気がつき、だれもが 認めざるをえない存在となった。
2017年1月号 世界を照らす 太陽の仏法
21世紀の宗教は、いかなる中心的価値を機軸に持つべきでしょう。私は、それは「人間主義の宗教」であり、 「人間革命の宗教」であると訴えたい。・・・・はたして宗教をもつことが、人間を強くするのか、弱くするのか、 人間を善くするのか、悪くするのか、人間を賢くするのか、愚かにするのか、と。この視点を、今なお、いな、 今こそ、いよいよ大切にしていきたい。
2016年7月号 世界を照らす 太陽の仏法
「人の生涯はその思想のいかんによって決定される」とは、トルストイの洞察です。・・・ 私たちが偉大な生命哲学を抱き前進していけば、社会の根底の精神土壌が変わります。だからそこ、 最も根源的な変革へ、共戦の炎を胸中に燃やしていくのです。今や、末法の闇を晴らす、「太陽の仏法」 が世界中で輝き、社会を照らし初めています。
2016年6月号(質問会から)
<責任感から智慧が湧く>責任感の強い人は智慧が湧き、自分の与えられた使命を果たすために、どんどん 良い考えが出てくる。反対に、責任回避の人は、悪智慧は出てくるが、正しい智慧は湧いてきません。
2016年2月号
フランスの思想家ルソーも喜びの本質は「自他共に」という、広々とした精神にあることを見出した一人です。 彼は「楽しみをひとり占めするのをやめるがいい」と主張しました。「楽しみは、人々が一緒に楽しめるように すればするほど、いつでもいっそう純粋に楽しめることになる」というのです。
2015年8月号
「正しい人生とは何ぞや、と考えるのもよい。しかし、考える暇に、大聖人の仏法を実践してごらんなさい。 青年じゃありませんか。必ずいつか、自然に、自分が正しい人生を歩んでいることを、発見するでしょう。 私は、これだけは間違いないといえます。」戸田先生
2015年3月号
「ほかの人の身になって創造力を働かせることが正義の基本」ナイジェリアの作家ウォレ・ショインカ
2015年1月号
100年前、フランスの文豪ロマン・ロランは、まるで「戦争の宿命は一切の意志より強い」という「古い極まり文句」に煽られるように、 各国が雪崩をうって参戦し第一次世界大戦に突入していく中で、激烈な抗議の声を発しました。「決して宿命はない!私たちが欲することだ。 それはまた、よりしばしば、私たちの意欲がたりないということだ」ロランは、国家指導者や知識人が、”これが運命”とばかり戦争迎合の 時流にのみ込まれていく無責任な姿を、断固として拒否したのです。
2014年12月号
内なる心の世界は、広大無辺であり、ダイナミックです。この「心の不思議」を、天台大使が緻密に整理して『魔訶止観』で説いたのが 「一念三千」の法門といえます。 「一念」--すなわち凡夫の一瞬の生命に、「三千諸法」--すなわち森羅万象が具わっている。-- すなわち森羅万象が具わっている。それゆえに、一念が三千へと遍満していく。 わが一念が変われば、自身が変わる。否、わが一念を変え、 自身と環境を変えていく。 否、わが一念を変え、自身と環境を変えていく。 これが一念三千の仏法です。 ゆえに、自身の一念が何を 目指しているかという「志ざし」によって一切が決まっていくのです。 万人成仏の妙法を信じ、実践するという信心に、「志ざし」が 定まれば、胸中の仏界が開き顕され、自身と環境に遍満していくのです。
2014年11月号
1975年11月、私は広島で、原爆慰霊碑に花を捧げ、この折の本部総会で訴えました。「創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの 外的拘束力をもって人間の尊厳を冒し続ける”力”に対する、内なる生命の深みより発する”精神”の戦いであると位置づけておきたい」
2014年10月号
「御義口伝」には、「自身の内なる妙法を悟って、自身の宮殿に入るのである。南無妙法蓮華経と唱えていくことは、自身の宮殿に入っていくのである」 と仰せである。
・・・
法華経には、「三界は安きこと無し 猶お火宅の如し 衆苦は充満して 甚だ怖畏す可し」と説かれる。とりわけ末法に入り、天変地異が重なる世には、 心の広い人も狭くなり、道を求める心を持つ人さえも邪見になってしまうと、御書には喝破されている。
2014年9月号
「法華経の敵」とは、人間の可能性を否定し、万人の尊極性を認めず、人々を無気力にして、不幸へと陥れる思想です。民衆を苦しめる元凶とは断固、 戦う。それが大聖人の破折の精神です。(勝利の経典「御書」に学ぶ。)
2014年8月号
池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」第一部幸福への指針 第4章「悩を突き抜け歓喜へ」
(4-3)どんな苦悩も変毒為薬できる
(4-4)未来を開く「本因妙」の仏法
日蓮大聖人の仏法は、人間を過去に縛るのではなく、つねに現在を出発点として未来に向けて前進させていく「本因妙」の大法である
すなわち仏となる根本の”因”を妙法蓮華経と明かされた、ただご本尊の受持のみによって、仏の「因行」も「果徳」もすべて今世で得ていかれる と教えられた、画期的な大法である。どこまでも未来を志向し、未来を煌々と照らし進みゆく。ここに「現当二世」の大聖人の仏法の真髄がある。
(4-5)何があっても喜んでいける人生
2014年7月号
池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」第一部幸福への指針 第4章「苦悩を突き抜け歓喜へ」
信仰とは限りない希望の異名です。
(4-1)人生の勝利劇の主人公は自分自身
(4-2)煩悩の「薪」で幸福の「炎」を
2014年8月号
池田SGI会長指導選集「幸福と平和を創る知恵」第一部幸福への指針 第3章「生命変革の実践」
生命変革の最も基本的な実践となる勤行について示していきます。
(3-1)勤行は大宇宙と交流する儀式
(3-2)民衆に開かれた修行
(3-3)唱題は人生に勝利する力
(3-4)法華経の要は方便品・寿量品に
(3-5)勤行が生命を清浄に
(3-6)変革は祈りから始まる
(3-7)「大切なのは、あげる姿勢?それとも、あげる数?」
(3-8)「どうすれば、いつも意欲的に祈れるか?」
(3-9)「頑張っても悩みが解決できないが・・・」
(3-10)「勤行ができなかったが・・・・」
(3-11)「経文や題目の意味がわからない・・・」