2024年12月28日<ふたりの祖国 124 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 25> 「政友会のことか」 「そうです。政友会は国会で多数を占めていますから、犬養首相の後任を自派から出そう とするでしょう。しかしこれは何としても阻止しなければ、挙国一致内閣も満州国承認も 実現できません」 「政友会は鈴木喜三郎君を後継者にするはずだ。憲政の常道に従えば、これを阻止すること はできぬ」  政友会は衆議院定数466のうち303議席を占めている。犬養首相が斃れたとはいえ 勢力は盤石で、軍部に対して批判的な議員も多かった。 「それは承知しております。そこでこの機会に、憲政の常道ばかりか政党政治そのものを 突き崩したいと考えております。そのために、是非とも先生にお力を貸してしただきたい のでございます」  東條は辞を低くして頼み込むと、会議があるからとあわただしく電話を切った。  蘇峰は書斎の机にもどり、ガラス窓の外の新緑を見つめながら考え込んだ。テロを 認めることは断じてできない。だが事件が起きてしまったからには、これを奇貨として 正しい方向に国を導くべきだ。  そう決意し、明日の『日日だより』を書くことにした。タイトルは「憂国苦言」で、 書き出しは次の通りである。 「犬養首相の横死は、維新以来政治史に於ける、特種の非参事であり、且つ不祥事である。 我等が此際に痛恨已む能はざるは、独り老首相の為めに哀悼するばらりではない。国家の 大局より見れば、実に由由敷大事であるからだ」  つづいて蘇峰は、犬養首相に挙国一致的な内閣を組織するように求めたが裏切られた と明かし、「今日は実に日本国が盛衰、隆替の十字路に立っている」時なので、 正当流のやり方を押し通すべきではないと主張する。 「国家非常の場合には、非常の政策を必要とする。それには一切の政党の縄張を清算し 去りて、国民的内閣の樹立を必要とする」  蘇峰はそれほど意識していなかったが、政党を清算すべきという意見は、東条英機の 考えに少なからず影響されていたのだった。
2024年12月27日<ふたりの祖国 123 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 24> 「この事件には関東軍も関与していると思うが、何か情報はないかね」 「失礼ですが、なぜそのようにお考えでしょうか」  東條の声にはかすかに警戒する響きがあった。 「犬養首相は満州国を承認するわけにはいかないと考えていた。そのことに不満や 危機感を持っていたのは、関東軍の石原君や板垣君だろう」 「さすがに慧眼。彼らは大川周明と連絡を取り、決行を急がせたようです。また今度の 決起に加わった陸軍士官候補生11名は、4月24日に満州へ戦跡視察に行き、5月 14日に帰国したばかりでした。満州で石原君たちの話を聞き、決起の決意を固めたものと 思われます」 「東坊、君たちはそれを知っていたのかね」 蘇峰の声が冷たくなった。 「報告を受けたわけではありませんが、情報として入っていました。しかしこれはテロリズム で、我々が目ざす政権樹立にはつながりません。それゆえ陸軍の青年将校たちには自重を 求めたのです」 「大川という男は、何をした」 「海軍の将校たちに拳銃と資金を提供しています。その出所は不明ですが」  言わずともお分かりでしょう。東條は言外にそう言っていた。 「これから君たちは、この事態にどう対処するつもりだ。荒木貞夫内閣の実現を 目ざすのかね」 「ご本人はそのつもりかもしれませんが、我々は時期尚早だと考えています。先日も 申し上げた通り、陸軍内部には荒木陸相に批判的な方々も多いのです」 「では、どうする」 「事件を起こしたのは海軍ですから、海軍から首相を出して事後処理をしてもらうのが 妥当だと考えています。むろんそれには条件がありますが」 「条件とは」 「ひとつは挙国一致内閣を作ることです。ひとつは満州国を承認することです」 しかしこれには乗り越えるべき問題がある。東條は急いでそう付け加えた。  
2024年12月26日<ふたりの祖国 122 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 23>  蘇峰が知りたいのは、この事件の目的と背後関係である。青年将校らに同調勢力は あるのか、海軍の上層部はどう動くのか。  西田税が指揮していた陸軍の青年将校たちはどうしたのか。十月事件の時には、荒木貞夫 を首相にして軍事政権を樹立するという構想があったが、今度の事件とどんなつながりが あるのか。  それは新聞の読者が知りたいことでもあり、事件の本質を知るためにも必要なことだが、 そこまで深堀りしている記事や論説はほとんどなかった。 (陸軍の動きは、東坊にたずねてみるしかあるまい)  だが今頃は参謀本部も大忙しで、電話はつながるまい。そう思っていると、午前9時過ぎ に本人から電話があった。 「東条英機でございます。昨日の事件についてご心配いただいているだろうと思い、電話を させていただきました」 「忙しい時にすまんな。わしも君に電話をしようと思っていたところだ」 「今度の事件には、陸軍の青年将校7名が関与していました。ところが海軍の連中が 先走りしたために、足並みがそろわなくなったようです。しかし海軍が決起したから には、この機を逃さず行動を起こそうと、将校5名が三宅坂の陸相官邸に押しかけて 荒木陸相に決起を迫りました」  これは5月16日の午前零時十分頃のことだが、荒木は首相官邸に行って留守だった。 かわりに真崎甚三郎参謀次長が5人の対応をした。  青年将校たちは十月事件の時の計画通り、陸海軍が決起して国家の革新に向かうべきだと 訴えたが、真崎は要望を荒木に伝えると言って自重を求めた。 「官邸には小畑敏四郎参謀本部第三部長もおられたそうですが、海軍が爆発した後で陸軍が 起つことは出来ぬと5人を説得されたようです。実は軍事政権樹立の計画は今も生きていて、 小畑部長を中心にひそかに準備をしていたところでした」 「小畑君と君は親しいと言っていたね」 「陸士(陸軍士官学校)の一期先輩です。東條が陸軍大学校の受験に失敗した時、小畑先輩の 自宅で勉強会を開いていただきました」 
2024年12月25日<ふたりの祖国 121 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 22>  山岸中尉の叫びに応じて黒岩勇海軍少尉と三上中尉が左右から犬養の頭を撃った。 将校らは、犬養が即死したと思って引き上げたが、犬養はやがて意識を取りもどし、 「今の若者たちを読んでこい。話せばわかる」ともう一度言ったという。  これが第一グループで、第二グループの5人は三田の内大臣官邸を襲い、牧野伸顕内大臣 を殺害しようと計画していた。ところがリーダー格の古賀清志海軍中尉が邸内に手榴弾を 投げ込んで爆発させ、警備の警察官に発砲して引き上げた。中村義雄海軍中尉がひきいる 第三グループ4人は、立憲政友会本部に向かい、玄関に手榴弾を投げつけて損傷を与えた だけで引き上げた。  以上18人名の青年将校たちは各所を襲撃した後、桜田門の警視庁を襲い、政党や財閥ら 支配階級の手先である(と彼らが見なした)警官たちと斬り合い、いさぎよく討死にすると 申し合わせていた。  ところが日曜日の警視庁は人もまばらで斬り込める雰囲気ではなかった。しかも 3グループの集合時間がまちまちで、警察官1人と警視庁書記1人、読売新聞の記者1人を 銃撃しただけで、鞠町の憲兵隊本部に自首したのだった。  彼らの決起には橘孝三郎が設立した愛郷塾の塾生6人が「農民決死隊」として参加し、 東京府下の変電所6カ所を襲い、送電を止めて東京を暗黒化しようとしたが、計画がずさんで 目的を果たすことはできなかった。  以上が五・一五事件に関する動きだが、15日には元陸軍少尉である西田税が、代々木の 自宅で銃撃される事件が起こっている。西田は陸軍と海軍の青年将校を同時に決起させようと していたが、血気にはやった海軍将校たちが独断で事を起こそうとした。そこでこれに 加わろうとする陸軍士官候補生たちを引き止めようとしたために、裏切り者と見なされて 血盟団員の川崎長光に襲われたのである。  蘇峰は東京日日、読売、朝日の三紙を目を通したが、報じている内容はほぼ同じだった。 取材をする時間がなかったので、警視庁や憲兵隊本部の発表に頼ったのだろうが、これでは 新聞記者として失格と言わざるを得なかった。
2024年12月24日<ふたりの祖国 120 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 21>  蘇峰は何か分かったらすぐに知らせるように言い含めて、中島秘書を日日新聞社に 向かわせた。電話があったのは深夜である。 「先ほど犬養首相が他界なされました。午後11時26分でした。頭への銃撃が致命傷 だったそうです」 「そうか、残念なことだ。引き続きよろしく頼む」  電話を切ると、蘇峰は2階の書斎で横になった。近頃は仕事が立て込んでいるので、 机の側に蒲団をしいて寝るようにしていたが、犬養暗殺の知らせに動揺して眠ることが できなかった。  目を閉じると病室で前かがみになってみかんをかじっていた犬養の姿が、サイレント映画 の一場面のおうに頭に浮かび上がる。あの白髪頭を銃で撃ち抜かれたと思うと、痛ましさに 胸を衝かれて弾かれたように上体を起こした。 (こうなる前に、何とかする手立てはなかったものか)  蘇峰は力なく自問した。あったとすれば、1月21日に新旧蔵相の立会演説会の後で、 井上準之助に手引きされて会った時だ。あの場で犬養は、関東軍の暴走を止めるために 宇垣一成を陸将にしたいので協力してほしいと申し入れた。  ところが蘇峰は挙国一致内閣や満州国の承認に消極的な犬養には不満を持っていて、 要請に応じようとしなかった。そこで犬養は 入院先にまで訪ねてきて再度要請したが、蘇峰の考えは変わらなかったのだった。  真夜中なのに外は明るい。満月に向かう上弦の月が中天にかかり、煌々たる明かりが 窓のカーテンを突き抜けて書斎を照らしている。風が出てきたらしく、家の周りの木立が ざわめきはじめていた。  翌朝の新聞には、事件の様子が詳しく報じられていた。  首相官邸を襲ったのは三上卓海軍中尉ら9名で、表と裏から二手に別れで官邸に乱入。 食堂にいた犬養は襲撃を受けたと聞いても逃げようとせず、「話せばわかる」と言って 青年将校たちを15畳の客間に案内した。  そしてソファーに座って話をしようとしたが、山岸宏海軍中尉が「問答無用、撃て」と 叫んだのだった。
2024年12月23日<ふたりの祖国 119 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 20>  中島の差し出したのは読売新聞の号外だった。 「何だ、わが社のものでないのかね」 「刷り出しが遅れて、あと30分ほどかかるそうです。一刻も早くお届けした方が いいと思って持参いたしました」  号外は「首相官邸等襲撃事件詳報」という見出しを打ち、「犬養毅首相 遂に絶望か  三上海軍中尉ら18名 憲兵隊へ自首し出づ」という脇見出しをつけていた。 「狙撃された犬養総理は官邸内で、田中氏(警備の巡査)は犬養健氏の邸内に担ぎ込み、 青山博士、木村博士がかけつけ手術中である。首相は最早絶望の態となり、午後6時 千代子夫人、令息健氏、芳澤外相その他近親者枕頭に集まっている」  リードでそう記した上で「警視庁第一回発表」をのせていた。これによれば午後5時 20分から30分の間に永田町の総理大臣官邸に陸海軍の将校風の者9名が乱入し、 ピストルを突きつけ総理に面会を求めたという。 それにつづいて<「撃つなら撃て」と首相 言下に轟然一発発射 裏表から侵入した 襲撃者 (首相の)昏倒を見すまして脱出>という見出しが躍っていた。 「賊は三上海軍中尉ら18名とあるが、その内訳はどうなっている。陸軍の将校は加わって いないのか」  蘇峰は陸軍の動向が気になった。もし陸軍の将校が関わっているのであれば、今夜にも 第2、第3の襲撃事件が起こるおそれがあった。 「首謀者は海軍の青年将校6名で、陸軍からは士官候補生しか加わっていないそうです」  中島は東京日日新聞の記者からおおよそのことは聞き込んでいた。 「目的は何だ。昨年ぼ10月事件で計画していたような、クーデターによる軍事政権の 樹立ではないのか」 「それほど大きな計画ではないようです。日曜日ということもあって、陸軍にも海軍にも 目立った動きはないそうです」  事件直後の号外では記事の内容も限られる。明日の新聞やラジオのニュースを待たな ければ、これ以上のことを知ることはできなかった。
2024年12月21日<ふたりの祖国 118 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 19>  昭和7年(1932)5月15日の日曜日、蘇峰は夕方までに仕事を終え、久々にのんびり と山王草堂の庭を散策していた。 ・・・・・  「あなた、大変です。あなた」  主屋の軒下から静子が声をかけた。いつになく取り乱した様子だった。 「どうした、ネズミでも出たか」 「ちがいます。たった今、ラジオのニュースで」  ともかくここに来てくれと手招きする。ただ事ではない気配に、蘇峰は急いで坂道を 登って主屋に戻った。  ラジオの臨時ニュースでは、本日5時半頃、首相官邸が数名の暴漢に襲われ、犬養毅首相が 重傷を負わされたと、繰り返し伝えていた。  事件が発生してから30分ほどしかたっていないので、詳細は分からないという。あるいは 分っているのかもしれないが、差し障りがあって公表を控えているのかもしれなかった。 (首相は・・・・。犬養首相は無事だろうか)  蘇峰はそのことが気にかかり、東京日日新聞社に電話して確かめようとした。だが電話が 殺到していてつながらない。もしやと思って外信部の西川大蔵に直接電話をかけてみたが、 結果は同じである。気をもみながらも、ラジオの前で次のニュースを待つしかなかった。  午後8時近くになって、秘書の中島勝彦が新聞の号外を持って駆け付けた。 「先生、どうやら軍部のクーデターのようです」
2024年12月20日<ふたりの祖国 117 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 18>  蘇峰は4月10日に退院し、山王草堂でいつもの生活にもどった。東京日日新聞朝刊の 『近世日本国民史』、夕刊の『日日だより』も連載を再開した。 それに加えて、『近世日本国民史』の第40巻にあたる『安政の大獄 前編』を、出版にあたって手直ししなければならなかった。  新聞に連載したものだから、それほど大きく直すところはない。しかし多忙に追われて 思わぬ間違いをしているおそれがあるし、文章の調子に不自然なところがあるかもしれない。 それを確かめて万全を期さなければ、読者に申し訳ないと思うのだった。  『安政の大獄 前編』は、幕府の大老井伊直弼が尊王攘夷派の弾圧に着手し、これに 反発した孝明天皇が水戸藩に幕府改革を求める勅諚(勅書)を下したことから始まる。 水戸に勅諚が下ったことを知った井伊は危機感をつのらせ、水戸藩への圧迫や処罰を強化する とともに、京都市中で暗躍する志士たちの取り締りを強化することで朝廷に圧力をかけようと する。  こうして「安政の大獄」が起こり、追い詰められた水戸藩士と志士たちは互いに連絡を 取り合い、「桜田門外の変」によって井伊直弼を討ち果たすのである。  安政7年(1860)3月2日に起こったこの事件よって、尊王攘夷と倒幕運動が 結びつき、時代は明治維新に向かって大きく動き出した。だが蘇峰は当時に文書や文献を 引用して両勢力の思惑や行動を分析し、このような事態に立ち至った真の理由を解き明か したそうとする。  その根本姿勢について、彼は御本刊の秩序で次のように記している。 「安政の大獄は実に維新史において、最も通楚、最も悲惨、而してかつ最も不幸なる事件で あった。我らはその主役である井伊直弼その人に対して最も公平であらねばならぬ」  これは明治維新礼賛論ばかりがもてはやされていた当時にあって、実に見事な見識と言うべき である。持って生まれた反骨精神が、70歳になってなおこうした態度を維持させただろうが、 やがて蘇峰自身が時代の荒波に巻き込まれることになったのだった。    
2024年12月19日<ふたりの祖国 116 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 17>  「このような事態を招いたのは、満州事変や上海事変のせいばかりではありません。 昭和恐慌や金解禁によって地方が経済的な窮地におちいったことが、農村出身の将兵や 青年将校を激化させているのです。満州事変以降はこうした状況が改善しているのですから、 朝河君の指摘は当たらないと思います」  蘇峰はそうした考えに傾いていた。 「徳富君、彼らが軍事政権を樹立するためにはテロリズムを用いても構わないと考えて いることはご存じでしょう」 「知っています」 「江戸幕府を倒して明治維新を成しとげることができたのは、志士たちが天誅によって 幕府や諸藩の要人を討ち果たしたからだ。昭和維新においてもテロリズムこそが廻天の さきがけとなると、激派の青年将校は主張しています。しかしこれは近代国家そのものの 否定です。法治主義も政党政治も否定され、軍事力や警察力を持つ者たちが独裁する 暗黒時代を招くことになります。それは決して国民の幸せにはつながらないし、彼らが 唯一の大義としている陛下の大御心にも背くものです」 「それはどういうことでしょうか」 「陛下は日夜、世の平穏と国民の幸せを願っておられます。そのためには戦争の終結と 国際協調こそが必要だとお考えなのです」 「満州を維持し発展させることは、明治大帝の偉業を受け継ぐことです。何人たりとも 背くことは許されません」 蘇峰は「今上たりとも」と言いかけ、危うく言い替えたのだった。 「徳富君、そのように硬直しては政治も外交もできませんよ」 犬養が悲しげに首を振った。 「硬直ではなく大義です。首相がそうおっしゃるなら、政友会も民政党も解党して 挙国一致内閣を作った上で、宇垣君を陸相に再任すること。一日も早く満州国との議定書を 交わし、国家として承認すること。この二つを約束してください。そうすれば協力する道が 開けましょう」  犬養には承諾し難い要求だろうが、これくらい大きな譲歩を引き出さなければ、 一夕会を説得できないのだった。
2024年12月18日<ふたりの祖国 115 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 16>  「何かを読んでおられたようですが、演説の草稿ですか」  「いえ、そうではありませんが」 犬養は手元の資料を小さく折って上着の内ポケットに入れた。  「急ぎの御用でしょうか。こうして来ていただいたのは」  蘇峰はかすかに身構えた。宇垣一成を陸軍大臣に登用するために力を貸してほしい と頼まれていたが、いまだに返事をしないままだった。  「そうです。もう回復なされたと、病院長から聞いたものですから」  「例の陸軍の件でしょうか」  「血盟団事件には、大川周明や陸海軍の青年将校が関わっていました。しかも青年将校たちは 荒木陸相とも連絡を取り合っています。つまり昨年の十月事件のよって摘発されたクーデター 計画が、いまだに生きているということです」  だからこれ以上、荒木貞夫を陸軍大臣にしておくわけにはいかない。犬養はそう強弁 した。 「陸軍の装備品の購入にあたって、荒木陸相は業者から賄賂を受け取っています。 我々はその確かな証拠をつかんでいます。ですから陸軍の同意さえ得られれば、荒木を 罷免して宇垣君を再任できるのです」 「それで」 「前にもお願いしたように、一夕会の将校たちを説得してこの人事ができるようにして いただきたい」 「十月事件以後、一夕会の中でも争いが起こっています。私ごときが何を言っても、 皆をまとめることはできますまい」 「日本が今、容易ならざる事態に直面していることはご承知でしょう。それはこの手紙に 記されている通りです」  犬養が取り出したのは朝河貫一の手紙だった。牧野伸顕は政府の要人たちにも手紙の 写しを配っていたのである。 「牧野子爵が赤線を引かれている中でも、わたしは<国内には危険の思想を激成し>という 一文を重く受け止めました。十月事件や血盟団事件はまさにこの指摘の通りだし、こもまま 放置すればさらに事態は悪化するでしょう」
2024年12月17日<ふたりの祖国 114 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 15> ・・・・・・・  もしやこれは夢なのか。それとも死神が迎えに来たのだろうか。蘇峰は 午睡からさめきれない頭でそんなことを考えながら、しばらく白髪頭の様子をながめていた。  そういえば子供の頃には、みかんを皮ごと食べていたものだ。 「栄養のあるけん、皮ごと食べんか」  父からそう言われて従ったが、ぼそぼそした皮の食感が嫌で仕方がなかった。  ところが白髪男は何の抵抗もないようで、いかにも旨そうにみかんにかぶり ついている。 「誰かね、あなたは」 蘇峰の声に白髪頭がふり返った。薄暗い病室の中で狼のような目がギラりと光り、 犬養毅だと分かった。 「首相、どうして」 「あなたが入院されたと聞いたものでね。今日は幸い予定が空いたので、見舞いに 来ました。ところが眠っておられたので、ここでまたせてもらったのです」  郷里の岡山からみかんが届いたので持参したが、我慢しきれずにつまんでしまった。 犬養はそう言って人なつっこい笑みを浮かべた。 「岡山でも、みかんは皮ごと食べますか」 「みかんは高級品でね。貧乏人の倅にはめったにお目にかかれなかったので、 いただいた時には皮ごと食べていたのです。その癖が今も抜けないのですな」
2024年12月14日<TPP、英国あす加入 12カ国体制>  日豪など11カ国の環太平洋連携協定(TPP)に15日、英国が加入する。 2018年のTPP発効後、新規加盟は初めて。インド太平洋地域の経済連携の 枠組みは欧州に拡大し、12カ国体制になる。・・・・  また、今年11月のはコスタリカの加入手続き開始が決定。中国や台湾、 インドネシアやウクライナのど6カ国・地域が申請中だ。・・・・・
2024年12月14日<ふたりの祖国 112 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 13>  蘇峰が気がついたのは翌日の正午過ぎだった。枕元には南胃腸病院の林副院長と 静子が、心配そうな顔を並べていた。 「そうか。演説中に気を失ったのだな」  とんだ不覚をとったわいと、蘇峰は自分の不甲斐なさを笑った。 「どうです。腹は痛みますか」  林副院長がへその左右を触診した。 「圧迫感はありますが、それほど痛みはしません」 「ここはどうです」 林がへその下をぐっと押すと、焼けるような痛みが下腹部に広がった。 「痛みます。火傷でもしているようです」 「このあたりに炎症があり、腸が腫れて通路が狭くなっています。 腸菅狭窄症の再発ですね」  昨年3月に同じ病気で入院した時、診察をしたのも林医師だった。 「今日にも入院して、安静になさるようにお勧めします。これが悪化すれば 腸閉塞になり、お命にかかわりますから」 「原稿の〆切が迫っていて、すぐに入院することはできません。薬で何とか ならないでしょうか」 「五日が限度です。19,20,21・・・」  林医師は指折り数え、23日までには入院するように念を押して帰って行った。 「あなた、無理をなさらずとも」  静子が気遣ったが、蘇峰の頭は『日日だより』を休むわけにはいかないという 思いで一杯だった。  忠告された23日が過ぎ月末が迫ってきたが、蘇峰は入院しようとしなかった。 処方された薬を飲み、腸に負担がかからないように薄粥や重湯を食し、腹痛や下痢に 耐えながら原稿を書きつづけた。  3月26日は「政治家の負け惜しみ」、31日は「流言飛語は秘密政治の鬼児」、 そして4月2日は「満蒙気分と国是の醒覚」を書き、ついに力尽きた。この原稿を 書いた1日の午後から腹の激痛に襲われ、翌日の朝に京橋区木挽町(現、中央区銀座) にあった南胃腸病院に入院した。
2024年12月13日<ふたりの祖国 111 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 12>  満州開拓の恩人とも言うべき日本人を追い出すために、中華民国政府は張作霖、張学良 父子を支援し、排日運動や排日貨運動を激化させ、ついには柳条湖において南満州鉄道を 爆破するという暴挙におよんだ。 「しかもこれを我が関東軍の仕業だと言い立て、欧米諸国に向かって日本の非を訴え、 自国への支持と支援を求めております。このような狡猾きわまりないあり方に対して、 満州に居留する日本人ばかりでなく、現地で暮らす朝鮮、満州、蒙古、漢の諸民族が 憤り、一致結束して五族協和の満州国を建国することにしたのであります」  日本はやがてこの清新な国を承認し、国家として発展できるようにあらゆる支援を していくだろうが、前途はきわめて多難である。  なぜなら中華民国政府は満州国は関東軍が謀略によって作った傀儡だと言い立て、 建国の不当を欧米諸国や国際連盟に訴えている。その訴えを受けてリットン調査団が 満州に向かっているところだが、どんな報告をするか予断を許さない。  蘇峰はそうした事情を語った後で、次のように訴えて演説を締めくくった。 「何事にも辛抱が大切です。まして新たに国家を組み立て、国家を成り立たせる業は、 決して一通りや二通りの心配の種にならないものはありません。欧米人はあくまで 満州国の独立を認めない方針ですし、志那人はあくまでこれを志那の一部として復旧を はかろうとしております」  我らは困難を困難として正視し、これに打ち克つ道を見出さなければなりません。 会場の諸君、全国の皆さん、答えは簡単です。要はただ辛抱することです。ことわざにも 一忍をもって百難に勝つべしと言いますが、我が国の弟分として誕生した満州国を 守り育てていくために、あらゆる困難に耐える覚悟をしようではありませんか」  この呼びかけをもって、蘇峰の辛抱は限界に達した。ふっと意識が遠ざかり、会場の 職員に肩を支えられて演壇を後にしたのだった。
2024年12月12日<ふたりの祖国 110 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 11>  四日後の3月17日。午後5時から、東京の日比谷公会堂で「満州新国家祝福の夕」 が開かれた。集まった聴衆はおよそ千人。そのうち3分の1は軍服姿だった。 ・・・・・  主催者や来賓の挨拶の後で、蘇峰が壇上に立った。・・・・・ 「会場の諸君、そしてラジオをお聞きの全国の皆さん、去る3月1日に地球上に一つの 国家が誕生いたしました。かつての清国皇帝、愛新覚羅溥儀殿下を執政とする満州国で あります。五族協和、王道楽土を目ざして生まれたこの隣国を、我々は双手を上げて 祝福するものであります」  ラジオ局が設営にたずさわったせいか、マイクの音響がきわめていい。自分の声が 会場にも全国にもしっかりと届いている手応えを感じ、蘇峰は俄然やる気になった。 「わが日本帝国が満州に地歩を占めることができたのは、明治37、8年戦役において ロシアに勝ち、東清鉄道の一部である南満州鉄道の経営権と、満州における権益を 獲得したからであります。明治大帝のご指示のもと、我が日本国と帝国軍はかくも 偉大な成果を成しとげ、祖国発展の礎をきずいたのであります」  以来20数年、日本と朝鮮から百万余人が移住し、数十億円の投資をすることに よって、満州は寒さに凍てつく荒野から多くの穀物を産する豊穣の大地に変わった。 鉱山や炭鉱の開発も進んだ。  その豊かさが中国本土と比べてどれほど傑出しているかは、近年になって年間百万人 もの中国人が満州に移住していることからも明らかである。 「これを見た中華民国政府は、この豊穣の地を日本から奪い取る計略をめぐらすよう になりました。十数年におよぶ日中の争いは、この野心、この野望が原因となって 起こっているのであります」
2024年12月11日<ふたりの祖国 109 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 10>  牧野伸顕はそう前書きして、手紙のすべてに言及することはできないので、今日は この点について皆さんの意見をうかがいたいと、赤く線を引いた部分を示した。 <兵力ニて贏ち得たる所を実施し保障せんが為には、更に益々兵力に頼り、 かくて日本ハ益々忌むべき軍国と化し、農民が更に窮地に陥り、国内には危険の 思想を激成し、同時に志那及び列国を敵とする孤立の我侭物となるの患なく候や> 「この指摘についてどうお考えか、意見を聞かせていただけないでしょうか」 牧野は清浦元首相を見やって催促した。 「短文の中に、四つもの問題が提示されておりますな。あわただしいことだ」 清浦はそう言うなり口をつぐんだ。 「これは予見というか予測でしょう」 村山も話に深入りすることを慎重にさけた。 「小生も『日本の禍機』を読みましたが、この方は何事も悲観的にとらえる 傾向があるようですな」 光永は清浦や村山に迎合するように、朝河の個人的資質に話を向けた。 「日本が忌むべき軍国と化すというのは当たらないでしょう。明治大帝が 下された軍人勅諭によって、陸海軍の規律は厳重に保たれておりますから」  本山が初めて内容に踏み込んだ発言をした。  次は蘇峰が何か言わなければならなかったが、実はそれどころではなかった。 腸の具合が悪化し、ガスは下腹部に満ちている。今放屁したなら下痢気味の 中身がもれてしまいそうで、額に脂汗を浮かべながら早く会食が終れと念じていた。 「蘇峰先生はいかがでしょう。朝河教授のこともよくご存じだと思いますが」  牧野が話を向けたのを機に、蘇峰は退却作戦を敢行することにした。 「確かによく存じておりますが、この件については改めて答えさせていただきます。 皆様のご祝辞や高松宮殿下の思いがけないご配慮に、感激したり驚いたり したせいか、何やらひどく疲れて体調がすぐれませんので」  そう言って席を立ち、そつなく会釈しながら部屋を抜け出したのだった。
2024年12月10日<ふたりの祖国 108 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 9>  皆が一通り話し終わるを待って、牧野伸顕がワイングラスをテーブルに置き、 「ところで蘇峰先生は、イェール大学の朝河貫一教授と知り合いでしたね」 おもむろに声をかけた。 「彼がダートマス大学で学んでいた頃に宿舎を訪ねたことがありますし、今も 時々手紙をやりとりをしております」  酒を飲まない蘇峰は温かいほうじ茶で場をしのいでいた。本当はレモンソーダを 飲みたかったが、下腹部のガスを刺激する恐れがあるので控えていた。 「私は20年ほど前、朝河教授の『日本の禍機』を興味深く読みましたが、このたび 弟の利武にあてた手紙の中で、日本の現状について鋭い指摘をしておられます。 それを皆様にご覧いただきたくて写しを作ってきたのですが、お配りしてもよろ しいでしょうか」 「それは是非拝見したいですね。皆さんはいかがでしょうか」  蘇峰はテーブルを見回したが反対する者はいなかった。  牧野が配ったのは、朝河貫一が2月24日に大久保利武にあてて書いた手紙の 写しだった。その内容はすでに紹介させていただいたが、朝河はこの手紙の末尾に 次のように記していた。 <もし此文の旨を牧野子爵にも、在外の一人の、世情の紹介及び一己の卑見として 御伝へ降下候はば幸なるべく候>  手紙は一カ月もかからずに太平洋を横断し、三日前に利武のもとに届いた。 利武は朝河の要望通りに写しを作って牧野に届けたのだった。  朝河の手紙は論文のように精微なものである。しかも日本の現状に対する鋭い 批判に満ちている。清浦、村岡、光永、本山、そして蘇峰の5人は老眼鏡をかけて 読み通し、しばらく目を伏せて黙り込んだ。  朝河の批判は、日本の言論界を導いてきた我々に向けられている。誰もがそう感じて いたが、批判をそのまま受け容れることはできず、さりとて即座に反論もできかねるの だった。 「私が皆さんにこの手紙を披露すべきだと思ったのは、いくつかの重要な指摘があると 思ったからです」
2024年12月07日<ふたりの祖国 107 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 8>  名士たちの祝辞や挨拶を、蘇峰は神妙な面持ちで聞いていた。いずれも長年の交友に 裏打ちされた心温まる評価や励ましだが、五人もつづけばおなか一杯という感じである。 腸菅狭窄のせいか下腹部にガスがたまって、放屁をこらえるのに神経を使わなければ ならない有様だった。  次に蘇峰から皆様に謝辞をのべれば、この堅苦しいセレモニーは終わる。そう思って 懐に忍ばせた原稿を取り出したが、司会が思いがけないことを言い出した。 「実は皆様、ここでお伝え申し上げたい慶事がございます。蘇峰翁の『近代日本国民史』 の文業を賞し、高松宮宜仁殿下より有栖川宮奨励学金が下附されます」  その知らせに会場から喜びとどよめきが上がったが、誰よりも驚いたのは当の本人である。 皇室中心主義、天皇を中心とした挙国一致を訴えてきた蘇峰にとって、 これほど嬉しいことはなかった。 「なお本日は高松宮宜仁殿下が公用のためにご臨席いただけません。名代として 内大臣牧野伸顕殿下に下附していただきます」  奨学金は三千円(現代の換算で約ハ百五十万円)。その目録を牧野から受け取り ながら、蘇峰は雲の上にでも立っている心地だった。体が宙に浮いたようで足元が おぼつかない。これは夢ではないかと、頬をつねりたくもなるほどだった。  そのせいか謝辞で言おうと思っていたことがすべて飛び、懐に原稿を入れている ことさえ忘れて、徒手空拳で壇上に立った。 「ただ今、高松宮殿下から望外の恩賜を賜りました。人生七十古来稀なり。 唐の詩人杜甫はそう読みましたが、この年になって人生最大の喜びが待っているとは 思いもよらないことでした。これまで小生を支えていただいたすべての皆様に厚く 御礼申し上げ、簡単ではございますが謝辞とさせていただきます」  挨拶は短きをもって良しとする。蘇峰の感激のこもった言葉は皆の心を打ち、会場 が一瞬静まりかえったほどだった。  やがて立食パーティーとなり、壇上の面々は特別室で酒肴をとりながら懇談すること になった。こうした場合は互いの近況など報告してお開きにするのが常だが、この日 は様相がちがった。
2024年12月06日<ふたりの祖国 106 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 7> ・・・・・最後は大阪毎日新聞社の本山彦一社長だった。・・・・・ 本山は蘇峰の一例として昨年刊行した『吾が同胞に訴ふ』をあげ、その中に自分が アメリカのロイ・ハワードにあてて書いた『満州問題に関し米国民に訴ふ』も収録 されていると紹介した。 「このような一文を物することができたのも、蘇峰君の教えと指導のお蔭であります」
2024年12月04日<ふたりの祖国 104 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 5> 「知恵などはないよ。帝国軍人は軍人勅諭に従い、命掛けで陛下と国家のために 尽くすだけだ。この国のために今何をするべきか、東坊なら分っているはずではないか」 「満州問題の解決、挙国一致体制の確立、独自外交の推進。この三点だと存じます」 「分っているなら、君たちが先頭に立って陸海軍をまとめ上げたまえ。反対派を 脅すために激派の青年将校を使うなど、武士道にあるまじき卑劣なやり方だ」 「承知いたしました。同志たちに先生のお言葉を伝えて善処いたしますので、 今しばらくお待ち下さい。それから3月17日のラジオ演説、よろしくお願いします」  東條ら参謀本部からの要請に従い、東京日日新聞の主催で「満州新国家祝福の夕」 と題する集会を日比谷公会堂で開くことになっている。そこで蘇峰が述べる祝福の辞が、 ラジオで全国に放送されることになっていた。  古稀を迎えた蘇峰は忙しい。3月11日から15日まで青山会館で、これまでの 著作などを集めた古稀記念展覧会が開かれる。中日に当たる13日には、帝国ホテル に千名ちかく集めて古稀祝賀会が行われる予定だった。  しかもと言わんか、それなのにと言うべきか。3月初めから蘇峰は体調の不良に 悩まされていた。昨年3月に発症した腸管狭窄症が1年ぶりに再発したのである。  再発の原因はストレスだった。昨年9月の満州事変以後の対応に追われ、重圧に 苦しめられて腸が炎症を起こし、腸管が狭くなって食物の通過をさまたげている。 このまま放置すれば腸閉塞を起こすと医師から警告されていたが、忙しすぎて 治療に専念する時間が取れなかった。  そんな蘇峰にとって一番苦痛はパーティーでの会食だった。どんなにご馳走を 並べられても食欲がわかないし、腸の痛みを思えば食べることさえ苦痛である。  しかも酒を飲まないので、同席者が酔ってなれなれしくなったり無遠慮に振舞う のが不愉快で仕方がないが、鷹揚に構えていなければならなかった。
2024年12月03日<ふたりの祖国 103 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 4> 「実は陸軍内部でも意見が分かれております。これは機密事項に属しますが、他ならぬ 徳富先生ですので」  東條が他言無用でお願いしたいと断ってから打ち明けたのは、陸軍内の激しい勢力 争いだった。  争いの発端は昨年4月まで陸相をつとめた宇垣一成への批判だった。宇垣陸相は 陸軍の装備の近代化を成し遂げるために、政府から予算を獲得しようとしたが、 歴代の首相は昭和恐慌による緊縮財政と、軍縮を求める世論を理由にこれに 応じなかった。  そのために宇垣陸相は陸軍の経費削減を断行し、捻出した予算で飛行機や戦車、 高射砲を導入しようとした。ところがそのためには莫大な予算が必要で、人員を 削減したり財産を処分したくらいで足りるものではなかった。  そのために宇垣陸相は経費削減によって将兵を犠牲にしたことと、装備の近代化に 失敗したことの両面から批判されるようになった。批判の急先鋒となったのは、永田 鉄山や東条英機らが中心となって3年前に結成した一夕会である。  一夕会は犬養毅内閣が成立すると、荒木貞夫を陸相にして陸軍内の宇垣派を追放して 要職を独占するようになった。ところが権力を握った途端、一夕会内部で対立が起こった のだった。 「何だね。その対立の原因とは」 「我らが一夕会を立ち上げたのは、長州閥に支配された陸軍を改革し、公正な人事を 行うためでした。ところが荒木陸相は露骨な情実人事を行いました。また直接行動を 主張する青年将校と結びつけきを強め、彼らの威圧を利用して反対派を黙り込ませよ うとしているのです」 「日本は今未曾有の国難に直面している。挙国一致で対処しなければならない時だ。 その先頭に立つべき陸軍が、そのおうな体たらくでどうする」 「おおせの通りです。それゆえ我らは永田先輩を中心にして新たな体制を構築しよう としています。そこで先生にも知恵を貸していただきたいのです」  永田鉄山は陸軍士官学校の16期。東條の1年先輩だった。 
2024年12月02日<ふたりの祖国 102 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 3>  「どうしてそう言いきれる。あの無礼者から直に聞いたのかね」  聞いたとしても、信用できるはずがあるまい。蘇峰はそう感じていた。 「大川が目ざしているのは、陸軍、海軍、民間が一体となったクーデターでございます。 彼を先生に紹介させていただいた頃には、陸海軍の有志が中心となって決起し、 首相官邸や警視庁、陸海省などを襲って軍事政権を樹立する計画を立てておりました。 これが事前に発覚し、十月事件として関係者が処分されたことは、先生もご存じの 通りでございます」 「知っているとも。荒木貞夫陸相を首相に、大川周明を蔵相にする計画だったそうじゃ ないか。まてよ、そうすると・・・・」  あのタイミングで東條が大川を蘇峰に紹介したのは、軍事政権が樹立した後のことを 見据えていたからではないか。そう思い当たった。 「すると君や一夕会も、クーデター計画に加わっていたということか」 「あの段階では時期尚早という意見が大勢を占めておりましたので、情報を集めながら 成行きを見守っておりました。しかし大川がクーデター計画の先頭に立っていたことは 事実で、そのために命を狙われる危険もあったようです」 「その計画が十月事件で潰れたために、井上日召はテロによる要人暗殺に切りかえたの だろう。大川がそれに関わっていたとしても不思議ではあるまい」 「恐れながら、大川はもう少しスケールの大きな策略家でございます。関東軍や陸海軍を 動かし、日本を改革して世界維新の先頭に立たしめようとしております」 「何かね、世界維新とは」 「欧米などの白人種による支配を終わらせ、アジアやアフリカなどの有色人種が平等に 扱われる世界にすることでございます」  そのためには満州国の独立を助け、中国に親日政権を打ち立てて、アジアの解放を成し とげなければならないと、東條は妙に力を込めて言い切った。 「なるほど。それでこの先、陸軍や一夕会はどう動く。時期尚早と言ったが、機が 熟したなら軍事政権樹立に動くつもりかね」 
2024年11月30日<ふたりの祖国 101 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 2>  交番の巡査が総出で材木を片付けていたが、通れるまでに20分ほど待たされたと、 東條は遅刻しそうになった訳を事細かに語った。 「まあ掛けたまえ、それでも約束の時間に遅れなかったのは、日頃の心掛けのたまものだ」 「温かいお言葉、かたじけのうございます。万一、遅れたなら、二度と先生に顔向けが できないところでした」  東條が注文したのは、蘇峰と同じレモンソーダである。それが来るのを待ち、 人払いをして本題に入った。 「東坊、君は今回のテロ事件の犯人である菱沼五郎と知り合いかね」 「滅相もない。まったく知りません」 「しかし、この顔に見覚えがあるだろう」 蘇峰は菱沼の写真がのった新聞を突き付けた。 「覚えがありませんが、どうしてそんなことをおたずねになるのでしょうか」 「前回ここで君に会った時、外で下足番のように振舞っていた若者がいた。 それがこの菱沼だ。その理由が聞きたくて君に来てもらった」 「あの日は新橋でタクシーを拾い、大川と二人でここに参りました。このような男とは、 顔を合わせたこともありません」 「それならどうしてテロリストがここにいて、わしの車のドアを開け閉めしたのかね」 語気を強めて詰問すると、東條はあらぬ方に目をやって考えを巡らした。 「お、思い当たりますのは、大川周明が身辺警固の者をつけていることであります。 大川は国家改造のためにテロリストたちとも交わっておりますが、方針の違いから 仲間割れしたと言っておりました。そうした輩から命を狙われるので、警固をつける ことにしたそうでございます」 「それが菱沼だったとはどうした訳だ。井上君と団さんの暗殺に、大川も関わっていたと いうことかね」 「菱沼の師である井上日召と大川は交遊がありました。菱沼を警固役にしたのはそのため だと思われますが、今度の事件に大川が関わっていたとは思われませぬ」
2024年11月29日<ふたりの祖国 100 安部龍太郎 第五章 五・一五事件 1>  団琢磨射殺事件の三日後、徳富蘇峰は東京日日新聞社の車で大森の檸檬屋に行った。 東条英機を呼び出し、テロ事件の真相についてたずねるためである。中でも十月中旬に 檸檬屋で東條と大川周明に会った時、団琢磨暗殺者の実行犯である菱沼五郎をなぜ 同行していたのか。その理由を問い質さなければならなかった。  東條とは午後二時に待ち合わせている。蘇峰はその30分前に店を訪ね、店主の 美穂をビップルームに呼んだ。  「先生。いらっしゃい」  美穂はうこん色のチャイナドレスを優雅に着こなし、にこやかに歩み寄って来た。 「今日は東坊と待ち合わせている。その前にママにたずねたいことがあってね」 「あら嬉しい。何かしら」 「前回ここで東坊と会った時、大川周明が同席しただろう」 「はい。ずいぶん失礼な方だと思いましたが、東條さんのご紹介なので注意を することもできませんでした」 「それは構わないが、二人と会っている間に店の外で待っていた作業衣姿の若者 がいた。その男のことについて何か聞いていないかね」 「いいえ。そんな方がいたことも知りませんでした。何かあったのでしょうか」 「いや、知らないならそれでいいんだ」  蘇峰はおおらかに笑ってレモンソーダを注文した。  店の看板メニューだけあって格別な味である。ほのかな甘味と炭酸の爽快さを 楽しんでいると、階段をあわただしく駆け登ってくる軍靴の音がした。遅刻しそうに なった東條が大あわてでやって来たのである。 「先生、申し訳ありません。タクシーで来たのですが、泉岳寺でトラックが荷くずれ を起こして通行止めになっていたものですから」 「まだ約束の五分前だ。そんなに恐縮することはないよ」 「トラックは材木を積みすぎていて、道のくぼみにタイヤを取られた拍子に荷綱が 切れたようです。そのため道路上に材木が散乱しておりまして」
2024年11月28日<北斗七星>  生活保護を受けるべき人たちのうち、実際にどれくらいの割合が受けているか を示す「捕捉率」は、日本では2割程度だが、欧米では半数を超え、フランスは 9割だという。 (参照:ロバート・キング・マートン『社会理論と機能分析』で、「多くの人々に とって『自尊心』の喪失は、法定の援助をうけるには、あまりに高価すぎる犠牲で ある」と。) ・・・・ 基本的人権は義務と表裏の権利ではなく、人間なら誰もが享受できるものだ。 「健康で文化的な最低限度の生活を営む」生存権に関する憲法25条を空文化 してはいけない。 ・・・・
2024年11月28日<ふたりの祖国 99 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 26>  スティムソン国務長官の通告にもかかわらず、日本は上海事変を起こして軍事行動 を激化させ、3月1日には策略を用いて満州国を独立させた。こうした一連の動きに ついて朝河は、大久保利武への手紙に記したのと同じ所感を受講生に語った。 「しかし我々は、日本がなぜこのように行動に走ったのか、どうすれば彼らの反省を うながし、中国、満州問題において日米融和を実現できるかを、両国の歴史的、 文化的な背景を明らかにしながら探っていく必要があります」  この講座ではそれを目ざしたいと語って話を終えると、会場から大きな拍手が 起きた。心配していた非難や抗議はなく、全員が朝河の立場の難しさとこの講座に 賭ける思いを理解していたが、朝河はマスコミのインタビューや悪意のある質問を さけるために、急いで三階の研究室に引き上げた。  「貫一、素晴らしい講義だった。第一回目としては大成功だよ」  フィッシャーが駆け付け、感激さめやらなぬ顔で握手を求めた。  「私は特別室で講義を聞いていたんだが、側に誰がいたと思う」  「エンジェル学長かね」  「学長は公用で出かけていた。そのかわりスティムソンが来てくれたよ。彼も 大いに感心して、次が楽しみだと言っていた。さあて、明日の新聞はどう書くだろうか」  フィッシャーはそう言うなり、寸暇を惜しむように出ていった。  朝河は安堵と披露感に包まれながら、椅子にもたれて校庭の景色を見つめていた。 雪はすべて溶け、灰色の地面に芝生が芽を出し始めていた。  「教授、お疲れさまでした。お伝えするべきことがあります」  ヘンリー・ナンプが素早く部屋に入り、三井財閥のトップである団琢磨がテロリスト に射殺されたという急報が日本から届いたと告げた。 「一月ほど前に射殺された井上前蔵相も団琢磨も、IPR(太平洋問題調査会)の 有力メンバーで親米派です。これは日米の分断を狙ったものにちがいありません」  朝河が予言した自国の荒廃が始まったのだった。
2024年11月27日<ふたりの祖国 98 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 25>  朝河貫一は二通目の手紙でも、次のようにくり返さずにいられなかった。 「前の手紙で申し上げましたように、軍事力をもって中国との問題を解決しようと したことは、将来に大きな禍根を残すことになるだろうと心配しております。たとえ これによって一時局面を有利にすることができたとしても、隣国を仇敵となし、 前よりもいっそう悪い局面を作ることになるでしょう。そのためにいっそう軍事力に 頼らざるを得ないという悪循環におちいることになります。  中でも最も恐るべきことは、敵意の隣国を屈服させるために、自国の軍事力の 増強をはかろうとし、ついには自国の荒廃を招くことです。この害悪は世界の中で 孤立することより、はるかに大きな禍いを日本にもたらすでしょう」  書いているうちに朝河の体は震え、指先がかじかんでペンを持つことができなく なった。それは暖炉の火が消えかかっていたからばかりではなく、祖国の将来を 憂えるあまり体が強張ってきたのだった。  3月5日土曜日の午後3時から、朝河貫一の特別講演が開かれた。大学図書館の 閲覧室に集まった受講生は百人ばかり。そのうちの半分がイェール大学の学生で、 半分が一般市民だった。  イナやヘレン、オリーブもいて、目立たないように後ろの席に座っている。 マスコミは新聞社が三社、ラジオ局が一社だが、録音して放送することは禁じて いた。  講座のタイトルは予定通り『日本融和に向けて』にした。 「満州事変以来の日本軍の行動は、諸国の厳しい非難をあびます。それはアメリカでも 同様で、先日は各大学の学長らによる日本に対する非難声明が出されました」  朝河はそう語り、日米関係はこれからますます厳しい局面を迎えるだろうが、 この講座においては何とか融和の道をさぐっていきたいと挨拶した。  講座の冒頭では満州事変以来の日本とアメリカの動向を明らかにし、スティムソン の通告が日中両国になされたことと、それに対する日本政府の回答があったことを 伝えた。二つの文章の全文は予めプリントして、受講生に資料として配った。
2024年11月26日<ふたりの祖国 97 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 24>  「重ねて申上候は恐多く候へども、過日申上候後形成急下致し候為に」  こうして改めて手紙を差し上げることにしたと、朝河は書き出した。  形勢が急転したとは、国際連盟が三月初めに総会をもよおし、日本に対する制裁 決議をするのではないかと見られていることだ。アメリカ政府は経済制裁には慎重だったが、 前陸軍大臣のベーカーや有力大学の学長らが、国連において制裁決議をされる前に、 アメリカがあらかじめ賛同すると宣言するように求める請願を、連名で大統領に 提出したのである。  この誓願の理由は、日本が自国の利益をはかるために中国に対して兵力を用いたことが、 パリ不戦条約に違反しないと主張しているが、各大学の専門教授たちは<学界最高権威の 冷静なる判断>によって条約違反と見なした。  これはアメリカの世論に大きな影響を与えるばかりではなく、国際連盟や諸外国に 対しても日本批判の理論的根拠を与えらだろう。  日本は中国が条約を守らなかったことに今回の紛争の原因があると言うが、日本は パリ不戦条約という世界との約束を守っていない。日中両国の条約違反の罪はどちらが 重いか比較すれば、日本の方が重いと言わざるを得ない。朝河はそう記した後で、次の ようにつづけた。 <もし日本が支那の背信の為に多大の損害を被りたることを指し候はば(指摘するなら) 、世界ハ之に答ふるに日本が支那を侵害したる暴挙と、違約の列国に加へたる屈辱と、 世(界)の焦心しつつある平和運動を妨げたる禍害とに(を)指すべく候>  日本ではアメリカやイギリスだって過去に同じことをしたではないかという主張も あるようだが、1914年以前の例は今や世界において問題にされていない。なぜなら 第一次世界大戦という多大の犠牲によってようやく列国の良心が目ざめ、今日の 国際連盟を中心とした平和尊重主義が生まれたからだ。  中国に対する日本の行動はこれに逆行するものだから、世界の怒りと反感を 買うことになったのである。
2024年11月25日<ふたりの祖国 96 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 23>  蘇峰や本山は、日本の立場、正統性ばかりを声高に主張して、その本質的な意味について ほとんど言及していない。ところが朝河は軍事力を行使することの意味や、国際秩序の問題まで 考察し、次のように指摘しているのである。 <日本の根本の誤ハ、日支間の難局を兵力ニて一気に解決し得べきものと思ひしこと ニありと存候。こは甚しき暗愚の迷想と存候。(中略)次に特に今日の支那に対して 之(兵力)を用いて解決を得んとするは、暴力なることの外ニ解決を得んとするは、 暴力なることの外ニ解決の目的を達すべからず候故。いはん方なき拙策と存候> 兵力の行使はつまるところ暴力であり、隣人を傷付け相手の敵意をかき立てる ばかりで、解決を見出すことはできない。しかも敵から反撃されればいっそう兵力に 頼らざるを得なくなり、国民に及ぼす影響は深刻だという。 <兵力(を用いる)以前ニ比して難局ハ幾倍し、且つ日本ハ支那を敵国とし、又数十年 列国間ニ築き上げたる信用と美名とが忽然として疑惑、不信、もしくは憎悪を変り たるを発見せざるべきや。兵力ニて勝ち得たる所を実施し保障せんが為には、更に 益々兵力に頼り、かくて日本ハ益々忌むべき軍国と化し、農民が更に窮地に陥り、 国内には危険の思想を激成し、同時に支那及び列国を 敵とする孤立の我侭物となるの患なく候や> この一文はこの時代から昭和20年までの日本の姿をほぼ正確に予言している。 だが大久保利武を始めとする日本の指導者や知識人たちは、朝河のこの忠告を 生かすことができなかった。そのことも朝河は見通していて、次のおうに記して いる。 <私ハ数月来日本ニ雷同を見るのみ二て、正直の論を試むる勇気ある人あるを 聞かざるを憾み候。日本将来の為に、かかる強制的沈黙こそ最も危険なるべきを 信じ候>  朝河は一週間前に、大久保利武にあてた手紙にここまで書いた。これで思いは 尽くしたつもりだったが、本山彦一の文章を読んで危機感と失望感が深刻になり、 追加の書状を書かずにはいられなくなった。 (さて、どうしたものか)  朝河は机についてペンを取り、しばらく黙って考え込んだ。
2024年11月23日<ふたりの祖国 95 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 22>  文章にはまだ候文が混っていて読みにくいが、味読していただければ幸いである。 (引用は『朝河貫一書簡集』早稲田大学出版部発行)  朝河は満州事変がアメリカ人におよぼした影響について次のように記している。 <満州事変の始めのは人皆驚き候へども、甚しく非難するもの案外少なく、非難の 情は普かりしも、日本にも理由あるらしく見え候より、暫く事情の知る々まで評価 を差ひかえ候様子ニ候ひき>  だが日本軍の行動が錦州、上海と拡大するにつれて、日本が宣言している在住 日本人保護のためだけの出兵とは誰も見ず、満州を併合する目的があってのこと だと思うようになり、アメリカの学界も非難の声を上げ始めた。  <もはや日本ハ文明国の伍を外れ、籍を失したる観あり、野蛮人が文明利器を使ふ ニ過ぎざるものとみられ候。こは小生が誇張するニあらず候。ハーヴァード大生が 誇張するニあらず候。ハーヴァード大学の国際法及其他の教授ハ連名ニて攻撃文 を公表致し、プリンストン大学の神学校教授を亦速に日本と絶交すべしと大統領に 提言致候由ニ候>  日本の新聞を読めば、政府は今度の行動は戦闘ではなく防御であり警備であり 警察行為だと主張しているようだが、アメリカではそれをまともに受け取る人は 誰もいない。しかし重要なのはこうした反感ではなく、反感の根拠となっている 原因である。 <そは日本を離れる地より見候はば観易き所ニ候。即ち、支那の政府なるものが 如何に怪しきものなるにせよ、多年の非道を日本が忍び来りたることハ如何に 諒すべきものなるニせよ、猶問うべきハ、此口実、此理由ニて、他人の国ニて 兵力を用ひて流血、殺傷し、財産を破壊し、多人を流離せしむることハ、その 事実が極大の罪業ならずや>  日本の今回の行動は、日本がこれまで中国から受けてきた非道よりはるかに 大きな罪であり、もし各国が己が正当だという理由で他国に侵攻することを 認めるなら、国際秩序は一日も保てなくなる。朝河はそう訴えている。
2024年11月22日<北斗七星>  ・・・・・・・ 先日、一つの小惑星が「29159Asakawa」と命名された。 福島県二本松市出身の世界的歴史学者、朝河貫一にちなむ。  ・・・・・・・
2024年11月22日<ふたりの祖国 94 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 21>  三、日本が軍事行動を起こしたのは満州の日本人居留民百万人と、これまで投資してきた 幾十億円の資本を守るためである。また極東の経済活動の中心地となった満州で、諸外国に 対する門戸開放を守るためでもあった。また日本が第三国の調停を拒否したのは、両国の 条約に関わる問題なので、日本と中国で話し合うべきだと考えているからです。  四、日本の行動はパリ不戦条約にそむいたものではない。なぜならこの条約では「国家の 権利、権益を保護するためにとった自衛行動には適用しない」と定められているし、各国が こうした状況に直面した時には「各国は軍事行動を必要とするかどうかを決定する自由を 有する」と記されている。日本の軍事行動はこの規定にのっとったもので、不戦条約に 違反してはいない。  朝河はこれを読んで、蘇峰の「此の事実を見よ」を読んだ時のような嫌悪感を覚えた。 しかも大阪毎日新聞社の社長で貴族院議員でもある本山彦一が、こんな稚拙な文章を何の 疑いもなくロイ・ハワードに送ったかと思うと、身内の恥をさらされようでいたたまれ なかった。 (もはや日本には、まともな人物がいなくなったのか)  そんな失望や憤りに駆られ、朝河はもう一度大久保利武に手紙を書くことにした。利武は 明治の元勲大久保利通の三男で、イェール大学を卒業した後、ドイツのベルリン大学など で学んでいる。貴族院議員や日本イェール大学の会長もつとめる国際派で、朝河が信を おく先輩の一人だった。  実は一週間前の日曜日、朝河は大久保利武に手紙を書いた。日本から送られてくる新聞の 報道が偏向していることに危機感を覚えたし、『吾が同胞に訴ふ』の蘇峰の文章を読んで 黙っているわけにはいかないと思ったからだ。  この手紙は一個の論文と評していいほど精緻なもので、朝河の洞察力の確かさを示している。 そんな難しいことには興味がないという方もおられるかもしれないが、ハムレット朝河の 名誉挽回のためにも、鋭利な刃物のような文章のいくつかを紹介させていただきたい。 
2024年11月21日<ふたりの祖国 93 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 20>  翌21日は日曜日だった。この朝、朝河貫一は久々に満ち足りた気持ちで目をさました。  イナのお蔭である。昨日朝河は縁を切られても仕方がないと覚悟して正直な気持ちを伝えたが、 イナは付き合いをつづけると言ったばかりか、日米融和をめざす朝河のために力を貸すと 言ってくれた。  それは二人が神の愛によって結ばれている証拠のようで、朝河にはこの上なく嬉しかった。  それゆえ自分も自己を犠牲にした愛をイナに、そして全人類に注がなければならないと決意 をあらたにした。  朝河は暖かいベットから抜け出し、暖炉に火を入れて野菜スープを温め、ライ麦パンをつまんで 質素な朝食を終えた。そうしてコーヒーをいれる間も惜しんで『満蒙問題に関し米国民に訴ふ』と いう本山彦一の文章を読んだ。  アメリカの有力新聞社の社長であるロイ・ハワードの質問に、大阪毎日新聞社社長の本山が答える 形を取ったものだが、『吾が同胞に訴ふ』で徳富蘇峰が展開している論旨とほとんど変わらなかった。 この中で本山が主張しているのは、次の四点である。  一、満州は日露戦争後に日本が正当な条約によってロシアや中国から経営権を認められたもので、 以来20数年にわたって日本は満州を営々と開拓し、実り豊かな文明の地に変えた。そのために中国 から年間百万人もが移住しているほどである。  中華民国政府はこれを見て日本から満州を奪おうと数々の策略を仕掛けているが、これは不当な ものと言わざるを得ない。なぜなら満州が中国の領土だとしても、正当な条約によって日本の経営権は 保障されているので、これを侵す権利は中国にはないからである。  二、中国の正規兵(張学良の軍勢)は中華民国政府の許可を得て旅行中だった日本将校(中村大尉)と その一行を殺害したばかりか、日本が経営権を持つ南満州鉄道に爆弾を投じて破壊しようとした。 満州事変が起こったのはそのためである。  
2024年11月20日<ふたりの祖国 92 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 19>  「S&Bって、あの秘密結社の?」  「ええ、そうよ」  イナが秘密めかして声をひそめた。  S&B(Skull and Bones)は頭蓋骨と骨というおどろおどろしい名前を持つイェール大学の 秘密結社である。アメリカにおいて経済的に成功することを目的として1832年に設立された が、入会や組織運営に関する一切が部外秘とされている。  会員たちは「The Brotherhood of Deah」(死を誓い合った兄弟)という固い結束を誇り、 アメリカの政界、財界、官界などに就職した後も互いに助け合って立身出世を成し遂げてきた。  歴代の大統領や国務長官、国防長官のうちの何人かはS&Bのメンバーであり、イェール大学 OBによるアメリカ支配さえ実現しかねない勢いだった。  ちなみにフィッシャー教授やスティムソン国務長官も、S&Bのメンバーだと噂されていた。  「そこで提案があるの。私がミスター・ギャリソンと結婚し、S&Bの情報を得てあなたに 伝えるというのはどうかしら」  「イナが私のために諜報員(スパイ)になってくれるというのかい」  「そうよ。あなたの役に立ちたいもの」  「しかしそれは夫への背信行為だよ。せっかくの新しい家庭を壊すことにもなりかねない」  「そうならない範囲で協力するということよ。彼にも紹介させていただくし、彼を通じて 政府の要人とつながりができれば、日米融和をはかるためにも便利でしょう」  イナは平然としたものである。  「しかし、どうしてそんな大胆なことを」  「私にも分からないわ。ハムレットを助けよと、神様が天上から命じておられるのかも しれないわ」  「分かったよ、驚きの君。私は君の助力によって得た成果を、理想を実現するためにだけに 使うと約束しよう」  思いがけない援軍を得た朝河は、勇気百倍する思いでそう誓った。
2024年11月19日<ふたりの祖国 91 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 18>  「そうした重荷を背負いながらも、あなたは私を愛してくれていると思っていたわ。うぬぼれ だったかしら」  「私はイナを愛している。ミリアムを失った痛手から立ち直ることができたのは君のお蔭だ」  「私も同じよ。夫を亡くして二人の娘を抱えて途方にくれていた時、あなたの励ましがどれほど 支えになったか分からないわ。そして時がたつにつれて、あなたと人生を共にしたいと願うように なったのよ」  「その気持ちは有難いが、君に対する私の愛は聖母マリアを慕うようなものだ。今度のことが あって、改めてそのことに気付かされたよ」  朝河は冷えきって残り少なくなったコーヒーをすすった。  「私、レークプラシッドで多くの男性に声をかけられたのよ。陽気なイタリア人やおしゃれな フランス人が口笛を吹き、指笛を鳴らして気を引こうとしたわ。でも日本の侍は天上の愛を求める ばかりで。地上には下りて来てくれないのね」  「すまない。私はもはや魂のことにしか興味が持てなくなったようだ」  もう会うこともできないだろうかと、イナが朝河の目をのぞき込んでたずねた。  「イナさえ良ければ、私はずっと親友のままでいたいと願っている」  「分かったわ、ハムレット。それではもう恋の空騒ぎはおしまい。今日限り幕を引いて、未来の 話をしましょう」  「未来の話」  「イナはミスター・ギャリソンと再婚することにするわ。イェール大学の卒業生で、ニューヨークで 法人相手の大きな弁護士事務所をやっているの」  「そう。イナが見込んだのなら、さぞ立派な方だろうね」  朝河は中庭の雪景色に目をやった。子供の頃に校庭で遊ぶ友達をながめていた時のような、淋しく うら悲しい気持ちになった。  「彼はフィッシャー教授とも親交があって、あなたのことも知っていたわ。それにS&Bのメンバーで、 政府の要人ともパイプを持っているの」
2024年11月18日<ふたりの祖国 90 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 17>  ・・・・・・・ 「今さら聞くのも失礼だけど、成し遂げるべき仕事って何?」 「比較法制史の研究の完成と、日米融和のために尽力することだ。そのための 特別ゼミを、3月5日から開くことになっている」 「そう、大変なお仕事ね」  ・・・・・・・
2024年11月16日<ふたりの祖国 89 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 16>  こうした状況で朝河が周囲の納得を得るには、方法は三つしかなかった。勉強ができること、 喧嘩が強いこと、品行方正であることである。ところが勉強は人一倍できたものの、争い事が 嫌いで喧嘩はからきしだった。  品行方正もそれらしく振舞ってはいたが、内面的には怪しいものだった。どうした訳か朝河には 名状しがたい反骨心があって、権威とか権力に素直に従うことができなかった。  そこで朝河が選んだのは、得意な勉強で圧倒的な存在になることである。幸いこちらは才能にも 恵まれていて、いくら机に向かっていても飽きるとか疲れるということがなかった。  だから小学校の休み時間や昼休みには、校庭に出て遊んでいる友達を横目に見ながら教員宿舎に もどり、机に向かってひたすら本を読んでいた。  奥州の冬は長い。毎年11月から3月までは雪に閉ざされる。この時期に友達は校庭に出て雪合戦 をしたり雪だるまを作ったり、校庭のまわりの斜面を手造りのそりで滑ったりしていた。それを 時にはうらやましいと思いながら、朝河はいつも一人で本を読んでいた。  そんな子供だったせいだろう。俗を否定したい情念はみんなと一緒に遊べなかった反動だろうし、 究極の正義をキリスト教に求めたのは、絶対的なものと同化することで自分を肯定したかったの かもしれない。 ・・・・・・・
2024年11月15日<ふたりの祖国 88 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 15>  朝河が立子山小学校での暮らしを重荷に感じていた理由は二つ。ひとつは父正澄の社会的立場である。  明治政府が近代的学校制度を定め、全国に大学校、中学校、小学校を設置することにしたのは明治 5年(1872)のことである。これに従って立子山小学校が明治7年に開校し、朝河正澄も教員と して採用され、やがて校長に昇進した。  正澄もその役割を果たす責任を負っていたが、奥州の諸藩は奥羽越列藩同盟を結んで明治政府と 戊辰戦争を戦っている。その過程で新政府の役人がいかに無理難題を押し付け、薩摩や長州などの 軍勢が許し難い振舞いをしたかを、奥州の人々は骨身に徹して知っている。  そのため正澄が立子山小学校に赴任した頃にも、周囲には新政府に対する反感が渦巻いていた。 しかも正澄は二本松藩の砲術指南役として戊辰戦争を戦い、新政府軍に惨憺たる敗北を喫した身で ある。 (それなのにお前は武士の誇りを捨て、新政府の手先に成り下がるのか)  そんな憤りの目で正澄を見る村民が多かった。  もうひとつの理由は、周囲の特別な目が朝河寛一に向けられていたことだった。  正澄は立子山小学校に赴任して以来、献身的な努力によって教育の実を上げていった。 夜間には大人たちを学校に集めて無償で教えたし、村人の間で争い事があると身を挺して 仲裁に入った。  時には荒くれ共の喧嘩の仲裁に入り、短刀で切り付けられたり木刀で殴りかかられたり することもあったが、正統な武道の鍛錬を積んだ正澄の敵ではなかった。たちまち叩き伏せて 理非を正したので、「朝河大明神」と呼ばれて敬われるようになった。  それに連れて大人たちは寛一にも期待と尊敬の目を向けるようになったが、地元の小学生たちに は嫉妬と反感を持たれ、陰湿ないじめを受け取ることも少なくなかった。
2024年11月10日<反転攻勢へ全党一丸  人間中心の中道政治貫く 斎藤代表、竹谷大表代行が就任> 「公明、臨時党大会で新出発」  
2024年11月09日<「調査なくして発言なし」水質汚染、大気汚染 公害撲滅の先頭に> 「環境の党」  
2024年11月09日<ふたりの祖国 84 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 11> 六、日本は満州にいかなる領土的目的や野心も持ってはいない。しかし満州の安全と商取引の 自由は日本人にとってきわめて重要であり、大きな利益に関わる問題である。アメリカ政府が このような状況を理解し、友好的精神にもとづいた政策を取ってくれるなら、日米の合意は 確かなものになるであろう。  以上六項の回答の中で、日本政府はかなり強引な言い訳をしている。たとえば第二項で門徒開放 政策が進まないのは中国政府のせいだと言っているし、第三項ではパリ不戦条約に背くつもりは ないと強弁している。  第四項ではワシントン条約そのものを見直す必要があると主張し、第六項では満州の安全と 商取引の自由を望んでいるだけで、領土的野心はないと明言している。  しかしこれは満州事変から上海事変にいたる日本軍の行動を見れば、承服できる内容ではなかった。 柳条湖事件を仕掛けて満州全土をを占領したのは誰だ。占領後に張学良政権の高官たちを追放し、 関東軍の息の掛かった者たちを登用して支配体制をきずいたのは誰だ。  朝河寛一でさえそう思うのだから、スティムソンを中心としたアメリカ政府の高官はこの回答を 一顧だにしないだろう。ましてや反日感情に駆られた大衆はますます反感や敵意をつのらせ、日本に 対して強硬な策を取るように求めるにちがいなかった。 (この回答をゼミで取り上げたなら・・・)  強烈な反論や批判をあびせられるか、多くの受講者が抗議の意志を示すために席をたつだろう。 その時教壇で立ち往生する自分の姿を思い、朝河は自嘲とも冷笑ともつかぬ笑みを浮かべた。  しかし「日米融和に向けた」というテーマでゼミを行うからには、日本の状況を正確に把握し、 和解の道をさぐらなければならない。その方法を思いあぐねていると、机の脇に置いた『吾が 同胞に訴ふ』が目に入り、徳富蘇峰が『満州問題に関し米国民に訴ふ』という一文が収録してある と書いていたことを思い当たった。  ともかくそれを読んでみようと手を伸ばした時、勢い良くドアを叩く音がした。   
2024年11月08日<ふたりの祖国 83 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 10> スティムソンが日本政府に申し入れたのは二点だった。 一、アメリカ合衆国の条約上の諸権利を、あるいは中国に於けるアメリカ市民の主権利、あるいは 中国の於けるアメリカ市民の諸権利を損なうような日中両国政府、あるいはその仲介者によるいか なる条約や合意も認めることはできないし、既成事実によって作られたいかなる状況の合法性も 了承することはできない。 二、1928年8月27日に終結されたパリ不戦条約(これは中国も日本もアメリカも締結国で あるが)の定める義務および盟約に反するいかなる状況、条約、合意も承認する意図はない。  これに対する日本政府の回答は六項目で、その要約は次の通りである。 一、日本政府は戦争の非合法性を謳ったパリ不戦条約等を尊守しようとしている日本の努力を、 アメリカ政府が支持していることを承知している。 二、日本政府はスティムソン閣下が触れられた「門戸開放政策」を、極東における主要な政策だと 見なしている。また中国の不安定な情勢によって、その政策の実効性が失われることを残念に思って いる。彼ら(中国政府)が門戸開放政策を保証するなら、満州や中国本土においてこの政策は 常に維持されるだろう。 三、彼らはアメリカ政府によってなされた声明の後半部分、すなわちパリ不戦条約に反する手段に よってもたらせるあらゆる状況を認めないという部分に注意を払っている。しかし日本は不適切な 手段をとる意図はないので、そのような疑念が発生する余地はないはずである。 四、現在の中国における不安定で混乱した状態は、ワシントンで九カ国条約が結ばれた時に関係諸国 が熟慮したものではない。当時は現在のような敵愾心とか分断は、明示されていなかったのだから、 現代の状況に応じて条約そのものを考え直す必要があるのではないか。 五、満州国が成立した後に行われた新しい人事は、現地の住民にとって必要なことであった。旧政権 の高官が辞任するか逃亡したために、現地の中国人たちはそれを補う新しい組織を立ち上げたのである。
2024年11月07日<ふたりの祖国 82 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 9> 「東京と上海、奉天に一カ月ずつ滞在し、現地に潜伏している諜報員と連絡を取りました。 二年前の八月から十月まででした」  ヘンリーは東洋人の風貌をしているので現地にうまく溶け込むことができる。それに日本語ばかりか 中国語と朝鮮語を不自由なく話すことができるという。 「満州事変と上海事変は日本の謀略だという複数の証拠があります。そのことはリットン調査団によって 公表されるでしょう」 「その証拠を国務省から調査団に渡したということだろうか」 「アメリカ政府を代表して、フランク・ロス・マッコイ陸軍少将が調査団に加わりました。情報は 少将に伝えてあります。上海事変については調査中で、確かなことを言える段階ではありません」 「中国側は情報戦に長けているようだ。自軍に有利になるように偽情報を流しているようだが」 「紛争や戦争が起これば情報戦は必ず起こります。その点において日本より中国の方が優位に 立っているようです」 「三月五日に第一回のゼミを開くことになった。それに関してたずねたいこともあるので、よろしく 頼む」 「ゼミの間、非常勤講師としてイェール大学に出向することになりました。ここの秘書室に電話をして いただければ連絡がつくようにしておきます」  朝河は研究室にもどり、三月五日の準備にかかることにした。重要なのは何を中心にして講義を 進めるか、その見通しを立てることである。そこでスティムソンの宣言と日本政府からの回答を軸にして、 双方の主張の共通点と相違点を明示し、その歴史的背景を明らかにしながら、両国が歩み寄る方法を 探ろうと考えていた。  ゼミのテーマも中国問題をめぐる『日米融和にむけて』にしようと思っていたが、日本政府の回答を 読み返しても軸にできる具体性に欠ける。文章も回りくどい上に曖昧なので、意味を正確に把握する ことから始めなければならなかった。
2024年11月06日<北斗七星> L.M.モンゴメリんの『赤毛のアン』で、通っているクイーン学院の試験に全力を尽くした 主人公アンは、成績最優秀者に贈られる奨学金は勝ち取れないだろうという意地悪な 学友の言葉に<努力して勝つことが一番だけど、二番目にいいのは、努力した上で 敗れることなんだわ。>と、明るくかえす。・・・・・ 詩人・吉野弘の著作に次のような一節がある。<創造の創が「きず」だということは 意外に知られていないようです。(絆創膏という薬もあることです。)・・・中略・・・ 物事の始まりが「きず」だということは、大変意味深いという気がします。>・・・・  
2024年11月06日<ふたりの祖国 81 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 8>  ・・・・ 大柄のヘンリーと向き合うと苦しいほどだが、朝河は少しも圧迫感を感じなかった。 それはヘンリーの物腰や言葉遣いに、武士道に生きた父と似たところがあるからかもしれなかった。 「ゼミの内容については、フィッシャー教授から聞いています。私は何をすればいいのでしょうか」  仕事の話になるとヘンリーは英語を使った。それも朝河には好ましかった。 「スティムソン・ドクトリンは、満州事変以後に日本が獲得した権益は一切認めないと 明言している。もちろん関東軍が計画している満州国の独立も認めないだろう。こうした事態を 分析するためには、正確な情報を得ることが何より大切だ。立場上の制約があるのかも しれないが、君がつかんでいる情報をできるだけ伝えてほしい」 「立場上の制約はありません。これは国務長官から直接命じられた案件ですから、情報局で 得ている情報はすべてお伝えします」 「それでは遠慮なくたずねるが、情報調査局は日本や満州、中国に秘密の情報網を張り巡らして いると聞いたが」 「その通りです」 「その精度には、どの程度の信頼がおけるだろうか」 「正確にお答えすることはできませんが、国務省は1916年のシベリア出兵以来、いろいろな 職業に身を変えた諜報員(スパイ)を各地に送り込んでいます。また現地の要人や公務員、 教会関係者に仕立てることもあります。こうした活動ではイギリスのMI6が知られていますが、 アメリカも同じような組織をととのえつつあります」 「君も諜報員として現地に行ったことがあるかね」 朝河は踏み込んだことをたずねた。
2024年11月05日<ふたりの祖国 80 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 7>  ・・・・ 「紹介しよう。ヘンリー・ナンブだ。国務省情報部調査局で東洋方面を担当している」 「お目にかかれて光栄です。教授の『日露衝突』『日本の禍機』は興味深く拝読させて いただきました」 ・・・・・ (注:朝河 貫一(あさかわ かんいち、1873年(明治6年)12月20日 - 1948年(昭和23年)8月10日)は、日本の歴史学者。日本人初のイェール大学教授。・・・・ 「平和の提唱者」としての業績がある。『日露衝突』を著し、全米各地で日露戦争における日本の姿勢を擁護し演説した朝河は、日露戦争後の日本の姿から将来の「禍機」を予測し、日本に警鐘を発するため、1909年(明治42年)『日本の禍機』を著した。『日本の禍機』で発した警鐘は、後に現実のものとなる。1941年(昭和16年)11月、日米開戦の回避のためにラングドン・ウォーナーの協力を得て、フランクリン・ルーズベルト大統領から昭和天皇宛の親書を送るよう、働きかけを行った。朝河は第二次世界大戦中、戦後もアメリカに滞在したが、終生、日本国籍のままであった。)
2024年10月31日<ふたりの祖国 76 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 3>  蘇峰の文章を読んで、朝河貫一は生理的と言いたいような嫌悪感を覚えた。これが他人の論評なら ほうり出すところだが、仮にも恩義のある先輩の文章をそんな風に扱うわけにはいかない。  そこで日本から送ってもらった緑茶を濃い目に入れ、三階の窓から構内の雪景色をながめて心を 落ち着かせてから、自分の感情を分析して見ることにした。  嫌悪を感じる第一の理由は、この文章が論ではなく訴えであることだ。しかもその訴えは 共通の記憶や価値観を持った身内に向かって主観を述べるだけで、外に向かって開かれていない。  外にいる異なった価値観を持つ人々を説得するには、しっかりとした論拠を示さなければならないが、 蘇峰が五つの事実としてあげた事柄はどれも自国の立場を強弁しているばかりである。それを 世界に通用する普遍的な前提のように論じるのは、浅はかだし滑稽だった。  第二の理由は、蘇峰の紋切り型の文章と感情に訴える決め付けが、ラジオの言葉のように底が 浅いことだ。ここには真理に向かおうという姿勢がなく、勇ましい言葉で読者を扇動しようと する意図しかない。  まさにラジオ時代向きの論調であり修辞学である。蘇峰はそれを意図してこんな文章を書いて いるのか、身につけた文章術がラジオ時代に向いているために、日本においてもてはやされて いるのだろう。  第三の理由は、蘇峰の文章には生身の人間に対する想像力が欠けていることだ。彼はこうした 文章を書く時、アメリカや中国の友人を一人でも思い浮かべたことがあるどろうか。友人との 人間的な共感に立って、問題解決したいと願ったことはあるだろうか。  満州や上海での日本の行動が、国際的な非難を招き排日運動を激化させ、朝河のように アメリカに住んでいる日本人、あるいは満州にいる日本人居留民を苦しい立場に追い込んでいると、 少しでも想像したことがあるだろうか。  あったとしたなら、こんな独善的な文章が書けるはずがない。蘇峰の姿はペンを大上段に構え、 新聞というロシナンテにまたがったドン・キホーテとしか思えなかった。
2024年10月30日<ふたりの祖国 75 安部龍太郎 第四章 日米融和に向けて 2> ・・・・蘇峰の論・・・・冒頭は「日本と国際連盟」というタイトルで、「此の事実を見よ」と いう小見出しがつけてある。その中で蘇峰は五つの「事実」をあげている。  第一は「支那人は昔から約束をするが、それを守らないことを、殆んど当然の事としている」のに 対し、「日本人には、幾多の欠点はるが、其の約束を守り、其の信義を踏む一点は、寧ろ馬鹿正直と 申す程の国民的性格がある」ということだ。  第二は「日本が国際正義の上に立脚し、国際協調を基調として、其の一切の政務を施行し、 就中東洋の平和を保持する為めには、自ら犠牲者の代価を償うも、いささかも顧慮しなかった」 ということ。  第三は「満蒙の於ける日本の権益は、日本が其の一国の運命を賭して、而して後獲得したるもの にして、世界列国何れも之を諒としていないものはない」こと。  第四は「日本は国力を賭して獲得したる此の権益をば、再び国力を賭して、之を擁護せんと 決心している」ということ。  第五は「従来馬賊と、貧民と、而して閑却せられたる天然との満州をして、今日の如く、 殷盛繁盛の新天地を開拓せしめたるものは、専ら日本の資本と日本人との努力である。 而して其の恩恵に頼る最も多数の者は、支那人である」ということ。  この5点を列挙した上で、蘇峰は次のように訴えている。 「然るに国際連盟が、支那側の片言を信じて、日本に向て、不当の干渉を試みんとして、 日本に向て、不当の干渉を試みんとするは、是れ国際連盟自ら国際の常道を破壊し、 馬賊や、匪徒の為に、世界正義の公権を、乱用するものと云はねばなぬ」
2024年10月28日<ふたりの祖国 73 安部龍太郎 第三章 満州国 25> 「お任せ下さい。そのための対策も参謀本部で練り上げております」 東條はチャップリンに似た顔に愛嬌のある笑みを浮かべた。 「それならいいが、いつぞや会った大川周明のような男を、参謀本部に出入りさせているのかね」 「あれは東坊の個人的な友人です。檸檬屋では無礼な真似をして申し訳ありませんでした」  あの日同行したのは、蘇峰の『近世日本国民史』を読んで感銘を受けた大川が、是非とも引き合わせて くれと頼んだからだ。ところが大川には奥州人らしい屈折したところがあって、あのように 反抗的な態度を取ったのだという。 「若い頃はそういうこともある。以降は気をつけることだ」  蘇峰は大人の風格をもって水にながすことにしたが、3月5日には再び事件が起こった。 三井財閥のトップである檀琢磨が三井銀行本店の玄関で射殺されたのである。  犯人の菱沼五郎は井上準之助を暗殺した小沼正と同じ茨木県那珂郡の出身である。 しかも犯行に同型の拳銃を使っていることから、警察では二人の背後に暗殺を指示した 者がいると見て捜査を始めた。  すると二人とも井上日召という宗教家が茨木県大洗町に開いた立正護国堂に出入りして いたことが明らかになり、井上日召が事件に関与しているという嫌疑がかけられた。 小沼も菱沼も警察での取り調べでこのことを強く否定したが、3月6日の新聞には 『血盟五人組』という見出しをつけて小沼や菱沼ら4人の写真が公開された。  それを報じる新聞記事を通読しているうちに、蘇峰の目は菱沼五郎の写真に 釘付けになった。このずんぐりとした坊主頭の男に見覚えがある。東條や大川と 檸檬屋で会った時に下足番をしていた若者である。ということはこの事件に二人が 関わっているということか・・・。 (もしや、この男を下足番につけたのは)  自分の顔を覚えさせるためだったのではないかと、蘇峰は足元が崩れ落ちていくような 不気味な疑惑にとらわれていた。
2024年10月26日<ふたりの祖国 72 安部龍太郎 第三章 満州国 24> 「それは承知している。ラジオのニュースで聞いたことだ」 「満州国の独立について、徳富先生ほどのように考えておられますか」  東條が下手にでながら蘇峰の内懐に踏み込んできた。 「これで満州国の統治が安定し、我が国と良好な関係をきずけるなら、お聞き届けいただきたい ことがあります」 「何かね」 「我々は満州国の建国を祝い、これを支援するために国民的な祝賀会を開きたいと考えています。 この行事にお力を貸していただけないでしょうか」 「我々とは誰のことだ。参謀本部か、それとも一夕会かね」 「参謀本部でございます。しかしこの時点で我々が前に出るのは適切ではありませんので、 民間主催という形を取りたいのでございます」  そこで相談だが、東京日日新聞社の主催とし、全国民に向けた蘇峰の演説を祝賀会の目玉に したい。東條はそう言って事業計画案を示した。 「祝賀会名 満州新国家祝福の夕べ  主催 東京日日新聞社  会場 日比谷公会堂   講演  満州新国家祝福の辞(仮題)  補足 講演はラジオ全国放送  」  東條の見事にととのった几帳面な文字を見て、蘇峰は大きく心を動かされた。 フランス、ドイツ、ロシアの三国干渉に泣いた時以来、蘇峰は大陸に進出して列強に 対抗できる国力を持つべきだと主張してきた。  その理想が満州国の独立という形で実現したのだから、先頭に立って祝福するのは自分の 義務であり責任だと感じた。 「祝賀会の予算は、参謀本部の特別会計から出させていただきます。ご迷惑はかけませんので、 御社の主催という形にしてはいただけないでしょうか」 「それはなんとでもなるが、気になるのは満州国の運営のことだ。民族自決の独立国家となれば、 関東軍主導というわけにはいかぬ。政府と陸海軍が協力して指導するべきだと思うが、その あたりの計画はできているのだろうね」
2024年10月25日<ふたりの祖国 71 安部龍太郎 第三章 満州国 23> (クマ公のやつ戻ったか)((カラス)) 蘇峰は親友の声を聞く心地がしたが、昼日中にあんな声を上げるのは珍しい。いったい何事かと二階の 縁側から玄関をのぞいてみると、軍服姿の三人が罵声をあびせながら空を見上げていた。  見上げるとクマ公が軍帽をつかんで舞い上がり、クヌギの上空を悠然と旋回している。帽子を 取られた間抜けは誰だと地上を見やると、東條英機が禿頭をさらしてあのカラスを何とかしろと 叫んでいた。 「やめろ、あれはわしの友だちじゃ」  蘇峰の制止に東條は直立不動の姿勢をとって一礼した。するとクマ公も蘇峰の客人だと分かったようで、 カタルパの木の上から帽子を落下させた。 「カラスまで門番に仕立てられるとは、さすがは先生でございますな」  書斎に上がるなり東條はおべっかを使った。 「あれはわしに恩義があって、勝手に歩哨をつとめておる。それにしても参謀本部の第一課長とも あろう者が、カラスに軍帽を取られるとは不用意ではないかね」 「空からの奇襲など思いもよらぬことですので、面目なきことながら不覚を取りました。これからは 航空兵力を充実させねばなりませんな」 「それで何の用かね。東坊大佐がわざわざお出ましとは」 「満州国建国宣言のことはお聞きになられたことと思います」 「まだラジオのニュースを聞いた程度だ。明日の新聞の報道を見てみなければ詳しいことは分からぬ」  犬養の提案のこともあって、蘇峰は問題に少し距離をおくことにした。 「新聞の報道もラジオのニュースとそれほど変わらないはずです。満州国は清朝の皇帝であった愛新覚羅溥儀を 執政とし、中華民国からの独立を宣言しました。孫文ら中国国民党の革命によって亡ぼされた清朝を、女真族の 故地である満州において復興し、民族自決の原則にもとずく国民国家を創設したものです。その国是は満州人、 日本人、漢人、朝鮮人、蒙古人による五族協和と王道楽土の建設であります」
2024年10月24日<ふたりの祖国 70 安部龍太郎 第三章 満州国 22> 「本文の記者は、1月21日貴族院の議場に於て、現首相の高橋翁と、前蔵相の井上君との立合を 実現して、井上君が大政治家の風土に於て、尚お進む可き余地の大なるを認めると同時に、やがて はそれに進み得可き資格あるを信じた」  蘇峰がそう判断したのは、銀行家のドル買いのために挫折した井上が、こうした風潮を改めるために 政治活動に取り組むと明言したからだが、それ以上に犬養首相に頼まれて蘇峰との対面をお膳立てして いるからだが、それを表立って誉めそやすことはできない。そのかわりに蘇峰は次の言葉で追悼文を 締めくくった。 「弗買ひ非呼、弗売り是呼。其辺の議論は此の場合は預りとして置く。然も井上君が意気軒高、 民政党の筆頭総務となり、選挙長となり、剰さへ其の選挙費の大半を負担せんとする意気込みは。 確かに翩々たる一個の才人視せられたる井上君としては、以外の驚異を、世人に与えたるに 相違ない。  今や其人亡し。君の惨死を痛感するもの、決して君の党員のみでなく、又た君の信者のみでは あるまい。国家は確かに一個有用の男児を少くした」  2月29日、満州事変を調査するために国際連盟が組織したリットン調査団が来日した。 イギリスのリットン伯爵を団長とする一行は、2月3日にフランスの港を出港し、アメリカに 渡って同国から調査団に参加したマッコイ陸軍少将と合流。2月29日に横浜港に到着して、 東京で日本政府や軍部、財界の要人と面接して事情聴衆した後、中華民国や満州に向かうことに していた。  翌3月1日、清国皇帝だった溥儀を執政とする満州国が建国宣言をした。年号を大同、 国旗は新五色旗とし、五旗協和、王道楽土を目ざすと宣言したが、国政の中枢をになって いるのは関東軍の板垣征四郎や石原莞爾で、溥儀は傀儡にすぎなかった。  ニュースの第一報を伝えたのはラジオである。だが表面的な情報ばかりなので腹立たしい 思いをしていると、山王草堂の玄関口でクマ公がけたたましい声を上げた。
2024年10月23日<北斗七星> ・・・・・ 稲刈りなど収穫を終えた田畑が、見渡す限り広がる光景を眺めて思い起こすのは、 旧民主主義政権による愚策。農業農村にまで激滅させた。 平坦に見える農地でも、傾斜もあれば起伏もある。水はけの良しあしなどは収量に 直結。そのための土地改良や、用水を安定的に確保する省力化を進めるための 大区画化など。豊かな大地の恩恵を受けるには欠かせない同事業を、「コンクリート から人へ」をうたい、「そんな公共事業はムダ」とばかりに削った。 政権奪還した自公が、事業費を元の水準に戻したのは言うまでもない。 ・・・・・
2024年10月23日<ふたりの祖国 69 安部龍太郎 第三章 満州国 21>  前蔵相の井上準之助が暴漢に襲われて射殺されたのである。井上はこの日、総選挙の応援演説の ために東京本郷の駒本小学校を訪ねた。車を下り校門にさしかかった時、背後から近づいてきた男 に銃弾三発をあびせられて絶命した。  犯人は小沼正という満21歳の若者で、「故郷の百姓の窮乏を見るに忍びず、これは前蔵相のやり方が 悪かったからだと思って殺意を感じた」と供述しているという。  小沼は茨城県那珂郡の漁村に生まれたが、昭和恐慌のために家族が離散したために世の中に恨みを 抱くようになった。新聞はそう伝えているが、拳銃の入手先や背後関係などは分からないままだった。  この記事を読んだ蘇峰は大きな衝撃を受けた。井上とは旧知の間柄だし、先月21日の立会演説会の後には 犬養毅首相に引き合わせてもらったばかりである。そのことが暗殺と関係があるとは思わないが、身近な者が 凶弾に倒れたことが、時代の急変をつげる象徴的な事件のように感じられた。  蘇峰は新聞一面に大きく載った井上の顔をしばらくみつめてから、明日の『日日だより』に載せるために 「井上準之助君の死を悼む」という追悼文を書くことにした。 「今日は井上準之助君の、財政政策の是非や、民政党内閣の蔵相としての功罪を論ずる場合でない。我等は 只だ其死を悼む可きだ。而して殊更ら罹りての死であることを悼む可きだ」  蘇峰はそう書き出し、井上が日本銀行の官僚や総裁として活躍した後に、政党政治家として新たな活躍を 始めていたことに言及した。また金融輸出解禁策に対して批判があったにもかかわらず、教硬に維持しつづけた ことについても次のように評している。 「此れが為に、君の無策と、君の執拗とを惜しむ者もあったが、少なくとも君も亦た一種の硬骨感であることを 天下に証明した」  それにつづいて、1月21日の貴族院の演説会を傍聴したことを記している。
2024年10月22日<[衆院選]政党、候補者を選ぶポイント>
「政治改革を断行できるか」  今回の衆院選では、自民党派閥の政治資金問題で失われた政治への信頼を取り戻すため、 どの政党、候補者が本気で政治改革を進められるのかが問われています。  公明党は今年1月、どの政党よりも早く「政治改革ビジョン」を発表。改革に及び腰な 自民党の背中を押し、公明党案を丸のみさせて、改正政治資金規正法の成立をリードしました。  これにより、議員本人も責任を負ういわゆる「連座制」の強化や、パーティー券購入者の 公開基準額引き下げなどが実現しました。・・・・・・                 !!!公明党は具体策示し、結果を出す!!!
「国民の暮らしを守れるか」  長引く物価高が家計を直撃する中、公明党は国民生活を守るために全力を挙げています。  電気・ガス、ガソリン代の引き下げや、定額減税などを実現して家計を下支え。政党の中で 公明党だけが主張して実現し、酒類・外食を除く飲食料品全般に適用される消費税の軽減税率も、 家計負担を抑える役割を果たしています。・・・・・ !!!公明は物価高対策、賃上げ推進!!!
「政策実現力はあるか」 どれほど魅力的な選挙公約を掲げても、実現する力がなければ絵に描いた餅に過ぎません。 公明党は、前回衆院選の公約を次々と実現しています。中でも「子育て・教育を国家戦略に」との 公約については、22年11月に公明党として「子育て応援トータルプラン」を策定し、 これを反映した政府の「こども未来戦略・加速化プラン」に結実させました。  そして同プランに基づく改正子ども・子育て支援法などが先の通常国家で成立。 児童手当は今月分から所得制限を撤廃し、高校生年代まで支給対象を延長、第3子以降は 3万円に増額されました。・・・・・ !!!公明は子育て支援など実績多数!!!
2024年10月22日<ふたりの祖国 68 安部龍太郎 第三章 満州国 20>  今の上海の状況は、義和団事件の時の北京によく似ている。中国の第十九路軍の横暴に苦しむ 共同租界を、日本軍が勇敢に守り抜いたなら、世界の世論は日本に対して好意的になり、満州事変以来の 悪評を一掃できるだろう。 「出でよ、第二の柴五郎。出でよ救国の大和魂」  蘇峰はそれを現状打開の切り札にしようと、大々的なキャンペーンを張るための準備を西川に命じたの だった。  この上海事変についても謀略説がある。事変のきっかけとなった日蓮宗の僧侶の殺害は、中国人の暴徒が 行ったものではなく、関東軍の板垣征四郎の指示を受けた陸軍武官補の田中隆吉が、中国人の無頼漢を集めて 実行したものだという。  この説が広く知られるようになったのは、事変から24年がたった1956年に田中隆吉が自著の中で 告白したからだが、その真偽は研究者の間でもいまだに定まっていない。それゆえ愚輩も、判断を保留したまま 物語を進めさせていただく。 「そんな無責任な」  そう思われる方もおられようが、歴史はまことに分からないことだらけである。そもそも我々には、 身近にいる人のことさえ分からないのは当然と言うべきではないだろうか。  ともあれ上海事変の発生を聞いて蘇峰はにわかに元気になってきた。日本の最新の海軍力を もってすれば、旧式の装備の中国軍など恐れるに足りない。十日もすれば第十九路軍を上海近郊から 追い払い、共同租界の平和と安全を確保するだろう。  そうなったらなら世界の世論も一変するはずだと期待していたが、海軍は第三艦隊を上海に投入しても 中国軍に勝つことができず、陸軍の来援を要請した。犬養首相はこれに応じ、金沢第九師団と混成二十四旅団 の派遣を決定し、事変は日中両国の全面戦争の様相をおびてきた。  これでは日本の正義を唱えることはできなくなる。とんだ思惑ちがいだと蘇峰が焦慮をつのらせていると、 二月九日になって思いも寄らない事件が起こった。
2024年10月21日<ふたりの祖国 67 安部龍太郎 第三章 満州国 19>  上海事変の様子は日本の新聞やラジオで刻々と報道された。徳富蘇峰はそれによって状況を 確かめるばかりではなく、東京日日新聞社の外信部の西川大蔵に電話をして最新の情報を 入手した。  「第十九路軍の兵力はどれほどかね」  「三個師団、三万ほどです。大将は蔡廷鍇という広東出身の男です」  西川の仕事は相変わらず素早かった。  「敵から攻撃してきたというのは、間違いないだろうね」  「間違いありません。イギリスやアメリカの祖界の新聞もそのように 報道しています」  「よし分かった。これから日本軍の正当性を訴える大々的なキャンペーンを 行う。そのための資料をそろえておいてくれたまえ」 蘇峰はしめたと思った。上海には欧米諸国の租界があり、経済的な重要性も大きいし居留民の数も多い。 満州などよりはるかに注目度も高いので、ここでの中国の横暴が明らかになれば日本の正義を世界に アピールすることができるのである。  蘇峰の頭にあるのは、1900年の義和団事件だった。西洋諸国の植民地化に憤る中国の民衆は、 義和団を中心にして「扶清滅洋」の排外運動に立ち上がった。彼らは山東省で決起し、天津を占領し、 諸外国の公使館がある北京に向かって進軍した。  しかも清国の西太后がこの叛乱を支持して欧米諸国に宣戦布告したために、北京にいる諸外国の 駐在員や居留民は命の危険にさらされることになった。そこでイギリス、アメリカ、ロシア、日本など 八カ国が共同で軍を送ることになったが、派兵が間に合わずに駐在員や居留民は北京の公使館に 籠城せざるを得なくなった。  この時にめざましい動きをして公使館街を守り抜いたのは、福島県会津出身の柴五郎砲兵中佐だった。 北京公使館付武官として赴任していた柴は、諸外国の警備兵をまとめて的確な指揮をとり、二カ月に わたる籠城戦を耐え抜いたのである。  その活躍と紳士的な態度は諸外国の要人たちから絶賛され、各国の新聞でも大きく取り上げられた。 それが日本軍と日本人への評価を高め、日本が世界に受け入れられる大きなきっかけとなったので ある。
2024年10月19日<ふたりの祖国 66 安部龍太郎 第三章 満州国 18> 「近代国家を作ろうとしてきた明治維新以後の国民の努力を、すべて否定するようなことを 許せるのか、いや、許していいのか」  犬養毅はそう問いかけ、それを許さないという一点で協力することはできないかと言った。 蘇峰はそれには同意できるし、そうした危惧も共有している。もし犬養の策で板垣や石原を 排除できるなら、ひそかに手を貸してやってもいいと思っていた。 (なあクマ公、何事もひと筋ではいかんもんたい)  蘇峰は空を見上げてハシブトガラスに語りかけたが、クヌギの枝のどこにも姿が見えない。 連れ合いを得た機会に、ねぐらを変えたのかもしれなかった。  一月二十八日になって事件が起こった。上海にある日本の租界の守りについていた海軍陸戦隊と、 上海郊外に駐留していた中国の第十九路軍が戦闘を開始したのである。  世に言う上海事変の遠因は、昨年九月の満州事変だった。柳条湖事件をきっかけにして満州全域を 支配下においた日本に対し、上海では労働者や学生を中心とした反日運動が巻き起こった。 彼らは上海抗日救国連合会を結成し、日貨(円)や日本製品のボイコット、日本の工場での ストライキなどを呼びかけた。  このため上海租界の日本人との間に激しい対立が起こり、一月十八日には日蓮宗の僧侶と 信徒が中国人の暴徒に襲撃され、一人が死亡、二人が重傷を負う事件が起こった。これを 重大視した日本の村井上海総領事は、一月二十一日に呉上海市長に対して、市長による 公式謝罪や襲撃者の逮捕と処罰など四項目の要求を突き付けた。  交渉のさなかに日本の海軍は、中国側に軍事的圧力をかけるために巡洋艦二隻、空母一隻、 駆逐艦十二隻を上海に派遣した。呉市長はこの圧力に屈して一月二十八日に四項目の要求を 受諾すると表明したが、抗日運動を推し進めている労働者や学生はこれに憤慨し、上海市役所 や派出所を襲って暴行を加えた。  こうした暴動から日本の居留民を守るために海軍陸戦隊千七百名が出撃したが、中国の 第十九路軍から突然の攻撃を受けて防戦せざる得なくなった。
2024年10月18日<3議席奪還 断じて!  南関東ブロック[定数23] 比例区は「公明党」 現状では「2」。情勢逼迫 1票もぎ取る猛拡大を>  衆院選比例南ブロック(定数23)で、「公明3議席」の奪還に向けた情勢が緊迫している。 自民党は8議席を固め、9議席目を射程に入れる。立憲は前回を上回る6議席を固め、さらに 上積みする勢い。維新は前回と同じ3議席の確保を狙う。国民、共産、れいわは1議席を守り、 日本保守が初議席を獲得しそうだ。公明は2議席を固めたが、目標の「3」には届いていない。 ・・・・・    
2024年10月18日<ふたりの祖国 65 安部龍太郎 第三章 満州国 17>  なぜ犬養の申し出に応じなかったのか。その理由は蘇峰にもはっきりとは分からなかった。 ただ返答を求められた時、諸手を上げて賛成するわけにはいかないという感じがあって、ひとまず 保留したのである。  翌日、山王草堂で冷静に考えてみて、蘇峰は賛成できんかった理由を確認することができた。 ひとつは満州国独立構想に大きな魅力を感じていることである。  関東軍の板垣征四郎や石原莞爾は軍事的に満州を手に入れたばかりではない。満州国皇帝だった 溥儀を執権とした独立国を作ることによって、九カ国条約にもパリ不戦条約にも抵触しない名分を 立てることに成功した。この道を突き進んだなら、犬養の案などよりはるかに確実に満州を掌握でき る見込みがあった。  もうひとつは犬養の属する立憲政友会、いや、立憲民政党もふくめた政党政治そのものに対する 根深い不信である。彼らは政局や時局が変わるたびに離合集散を繰り返し、西洋流の空理空論に よって国民を分断させるばかりである。  これでは国論を統一して英米に対抗できる強国をきずくことなどできるはずがない。だから蘇峰は、 明治政府のように天皇陛下を中心とした挙国一致の体制を作るべきだと以前から主張している。  それを実現するには東條英機や一夕会とのつながりを維持し、軍部への影響力を保っていた方が いい。だから犬養の要請を受け容れ、軍部の反発を招くのは得策ではないと考えたのである。 (それはそれで義のあることだが・・・・・)  気になるのは板垣や石原らの不穏な計略である。  明治維新の後に既得権益者となった政、官、財、軍の支配体制を否定し、昭和維新を断行して国家の 改造を実現する。そんな第二革命のようなことをされたら、明治維新と明治の体制を礼賛し誇りとしてきた 蘇峰らにはたまったものではないが、石原らは関東軍や満州を拠点として着々と計略を実行しつつある。  しかも世界恐慌や不況のあおりを受けて国民の生活が困窮するにつれて、政党や官界、財界に対する 批判は激烈になり、石原たちの主張に同調する者が増えていた。
2024年10月17日<北斗七星>  政権選択の衆院選が火ぶたを切った。野党は「政権交代」「自公の過半数割れ」が目標と声高に 唱える。しかし、万が一そうなった場合、どのような政権の枠組みなのか、有権者に対して明確に示さず、 選挙戦に突入した。決して責任ある政党のあり方ではない。政策実現性でも無責任さを露呈。立憲民主党は、 民主党政権時代に非現実的だとして導入を断念した「給付付き税額控除」を凝りもせずに掲げた。 党首討論で問われると、制度設計はまだ詰まっていないとして「対策や規模が曖昧なことを認めた」 政権構想も政策も準備不足。これで政権交代と、よく言えたものだ。日本を混乱に陥れると言って いるのと変わらないではないか。  一方、自公連立政権のは安定した政権運営で、日本経済の再生、子育て・教育支援の拡充、防災・減災対策などで 着実に成果を上げてきた。この衆院選で国民の信を得て、さらに改革は大きな争点。自民党派閥の政治資金問題に 対し、政治資金規正法の改正をリードするなど、政治の信頼回復へ率先して汗をかいてきたのは公明党だ。 政権は自公。そして比例区は公明党と訴え抜こう。   
2024年10月17日<ふたりの祖国 64 安部龍太郎 第三章 満州国 16> 「陸軍の誰を起用したなら、そのようなことが可能になるでしょうか」 「宇垣一成君です。彼は何度か陸軍大臣をつとめたことがあるし、わしと同じ岡山出身なので気心も通じています」  宇垣は蘇峰より5歳下の65歳である。かつては大胆な軍縮と陸軍の改革を行ったこともある実力者で、 陸軍の中でも穏健派として知られていた。 「宇垣君をもう一度陸軍大臣に任じ、彼の右腕である将官たちを関東軍の要職につけます。それを機に 板垣や石原を参謀本部から陸軍省に呼び戻し、勝手な行動が取れないようにするのです」 「関東軍が満州で支配権を確立できたのは、板垣や石原らの手腕によるものです。宇垣君は 朝鮮総督に転任し、陸軍内の支持を失っているようですが、彼の部下たちによって満州経営が うまくいくでしょうか」 「わしが後ろから支えれば心配ありません。満州経営については満州債を発行し、日銀に引き受け させて予算が出せるようにします。またこの一件をうまく処理できたなら、宇垣君に首相の座を引き継いで もらうと約束します。そうすれば陸軍の将官たちも、宇垣君を支持するようになるでしょう。 徳富君、あなたにもそうなるように将官たちを説得していただきたいのです」  陸軍における蘇峰の人気は絶大である。東條英機をはじめ一夕会の将官たちとのつながりもある。 犬養はその力を見込んで、蘇峰に宇垣支持の流れを作ってもらおうと考えていた。 「板垣たちは満州を独立国にすることで、パリ不戦条約に違反するという英米の批難をかわそうと しているようですが、閣下はどうお考えですか」 「絶対に許してはなりません。満州国など作ったなら、板垣や石原らに国家転覆の策源地を与える ようなものです。満州における中国の宗主権を認めた上で、経済的には日中合併の運営をする。 その条件なら蒋介石も交渉に応じるはずです」  犬養はすでに密使を上海につかわし、蒋介石と交渉を始めているという。だから是非とも力を貸して 欲しいと頼まれたが、蘇峰は秘密の保持を誓った上で返事を保留したのだった。
2024年10月16日<ふたりの祖国 63 安部龍太郎 第三章 満州国 15> 「徳富君、あなたが『日日だより』などで関東軍寄りの時評を展開しておられることは承知して おります。参謀本部の東條英機をを通じて一夕会とも連絡を取っておられるとも聞いております」 その上でこうして相談に来ているのだと、犬養は狼のような目で蘇峰を見すえた。 「あなたが柳条湖事件は張学良軍が仕掛けたものだと一貫して主張されるようになったのは、 中国やアメリカの攻勢から満州を守るには、関東軍の謀略に目をつむるしかないと決意された からでしょう」 「お言葉ながら、謀略説は張学良が日本をおとしめるために流したものです」  誰に対してもそうだと言い張れる信念を、蘇峰は身に付けている。それは国会の場で何度も同じ質問を せれても、平然と嘘を繰り返す政治家や官僚の信念と似たようなものだった。 「それが事実かどうかは、やがて国連のリットン調査団によって明らかにされるでしょう。わしがここで 徳富君と話し合いたいのは、そんなことではありません。関東軍の板垣や石原、あるいは在野の大川周明や 北一輝が目ざしているのは、現在の日本の否定です。それは明治維新の否定であり、明治憲法の否定です。 政党政治の否定でもあります。そんなこと許せるのか、いや、許していいのかとおたずねしたい」 「もし関東軍がそのようことを企んでいるのなら、許していいはずがありません。満州における軍事行動とは 別の問題です」  蘇峰は大森の檸檬屋で大川周明と会った時、きわめて不愉快な思いをした。それは大川の無礼な態度のせい だと思ってたが、彼の標榜する日本改造案に対する不快が根底にあったのだと改めて気付いた。 「それはわたしも同感です。明治という時代を生き抜き、今の国家をきずいてきた者同士、その一点で協力する ことはできませんか」 「協力して何をするとおおせですか」 「関東軍から板垣や石原の勢力を切り離します。そうして満州には、政府の考えに近い陸軍の有力者を派遣して 指揮をとらせます」
2024年10月14日<ふたりの祖国 62 安部龍太郎 第三章 満州国 14>  「ほう、どなたかね」  蘇峰は興味を引かれた。  「もうすぐ」お出になります。徳富先生と二人だけで話をしたいとおおせですので、我々は失礼させていただきます」  井上は秘書たちをうながして部屋を出ていった。  やがて裏口の戸を細目に開けて、タキシードを着た小柄な男が入ってきた。先月首相になったばかりの犬養毅である。 78歳という高齢で、顎のそげ落ちた顔に白いあご髭をたくわえ、眼光ばかりが狼のように鋭かった。  「これは驚いた。まさか閣下がいらっしゃるとは思ってもいませんでした」  蘇峰は何度か犬養に会ったことがあり、書簡のやりとりも何度かしたが、密談するほど親しい間柄ではなかった。  「思いがけず組閣の大命を拝することになり、解決すべき難題が山積みでしてな。そこで蘇峰先生の知恵を 拝借したいと思い、井上君に仲介の労を取ってもらいました」  「先生などと呼ばれては恐縮するばかりです。昔のように徳富君をお呼びください」  「それでは徳富君、さっそくだが難題のひとつは満州問題、中でも関東軍のことです。あのように勝手に暴走し、 政府の許可も得ずに戦争を始められては、日本の国家そのものを危うくすることになりかねぬ。そう危惧しておるが、 いかがお考えかな」  「いくつもの問題があると存じます。中でも一番に手をつけるべきは何だと、閣下は見ておられますか」  蘇峰は慎重にさぐりを入れた。  「板垣征四郎や石原莞爾といった輩が、関東軍を操り満州の時局を利用して、国家の乗っ取りを 企んでいることです。あの者たちは国家改造とか昭和維新などと呼んでおるが、その本質は今の政権を倒して 軍部による独裁政権を打ち立てることにあります。こればかりは何としても阻止しなければ、国の破滅につながり ましょう」  「関東軍が満州を武力で征圧したのは、昨今の状況下ではきわめて有効な手段だったと存じます。政府がこれを 否定してはなりますまい」
2024年10月12日<ふたりの祖国 61 安部龍太郎 第三章 満州国 13>  ・・・・ドアを軽くノックすると、井上の秘書が内側から戸を開けた。井上準之助は・・・・ 蘇峰は、・・・・「・・・・ところで今日の二人の講和は興味深かったが、高橋蔵相の奥の手とは 何かね」「まだ大蔵省内でも議論がまとまっていないようですが、政府が発行した国債を日銀に買い取らせる 方針のようです」  そうすればいくらでも国債を発行し、資金を調達することができる。その資金で「時局匡救事業」と名付けた 公共事業を行うというのである。  「前代未聞の暴挙だな。それでは政府の都合でいくらでも国債を発行できるようになり、財政規律は失われてしまう。 それに国債を買い取るたびに日銀が紙幣を発行したなら、市場はインフレーションになるのではないかね」  「私もそのように考えるのですが、高橋蔵相は近頃注目されているケインズの自由放任の終焉説に賛同しておられる ようです」  井上はケインズ理論について少し触れてから、お呼び立てしたのは引き合わせたい方がいるからだと言った
2024年10月11日<ふたりの祖国 60 安部龍太郎 第三章 満州国 12>  「ただ今弁士をつとめました井上君は、日本銀行の頃に苦楽を共にした同志であります。 歳は私より十五も若いのでありますが、学識と見識においては、このだるまなど手も足も出せる ものではありません。  高橋はそう言って皆を笑わせた後、ドル買いに対する井上の怒りはもっともだが、政府の金融、財政を 預かる者はそうしたところまで視野に入れて政策を決定しなければならないものだと釘をさした。  そうして金輸出解禁も緊縮財政策も失敗したのだから、犬養内閣においては金輸出禁止と積極財政策を 取らざるを得ないと訴えた。  ここまでドル買いが進んでいるのに金本位制を停止すれば、円安は一挙に進むだろう。だが前内閣の政策が 生んだ負の遺産は覚悟を持って引き受けるしかないと、高橋は胸板を叩いて自信のほどを示した。  「その具体的な手立てはあるのか、あるのならここに示してみろと思っておられる方も多いと思いますが、 失礼ながらいまだ立案中なので明かすわけには参りません。ドル買いに走った銀行家が、政策の先を読んで どのような儲け口を考え出すか分かったものではありません」  高橋は再び議場に爆笑の渦を起こしてから、しかしそれではご足労いただいた方々に気の毒なので手掛り くらいはお伝えしたいと言った。  積極財政策とは国家の予算で公共事業を起こし、困窮している地方に仕事と金が回るようにすることである。 その公共事業によって造られた設備が、次の経済発展を生むのだから一石二鳥と言うべきである。  「その事業のための予算は、政府が国債などを発行して都合をつけます。そんな国債を買ってくれる者が いるのかと危惧される方もおられましょうが、ドル買いで儲けた方々に一肌脱いでいただけばいいのです。 たとえ応じていただかなくても、我らには奥の手がありますから少しも心配しておりません」  それが何か最後まで明かさないまま、高橋は悠然たる足取りで演壇を下りた。  蘇峰が顔見知りの数人に挨拶して議場を出ると、外で待っていた秘書の中島が歩み寄ってきた。
2024年10月10日<衆院選 小選挙区 自民174氏を推薦(第一次)  無所属2氏も 地元の意思、最大限尊重>  公明党の西田実仁幹事長は9日、衆院第2議員会館で記者団に対し、大要、次のように説明した。 1,(政治資金問題で自民党の公認を得られず無所属となった予定候補2氏を推薦した理由について) 公明党独自の判断として推薦を決めた。判断基準は、①地元の公明党員、支持者に謝罪し、説明責任を 果たしたか②公明党との協力に貢献したか③地元の党員、支持者の納得を得られたかーーーだ。 自民党本部からの推薦依頼はないが、個人として推薦依頼が出たので、推薦の有無を決定した。   
2024年10月10日<ふたりの祖国 59 安部龍太郎 第三章 満州国 11>  井上が言う怪物とは、為替相場が円安に動くことを見こした銀行家たちがドル買いに走ったことだった。 その中心となったのはアメリカのナショナルシティ銀行で、これに住友銀行、三井銀行、三菱銀行、三井物産など が追随した。  世界の金融界に情報網を持つナショナルシティ銀行は、世界の主要国が金本位制を復活させることを諦め、 金輸出の禁止に動くことをいち早く察知した。そんな中で日本だけが金の輸出を解禁すれば、大量の金が流出して 国内の金保有量は減少するので、兌換紙幣である円の価値は下がって円安を誘発する。  だとすれば今のうちに資産をドルに換えておくべきだし、円安ドル高になれば為替差益によって大きな利益を 得られる。百戦練磨の銀行家たちはそう考え、投機的なドル買いに走った。  このことが金輸出解禁と井上らの財政、金融政策の継続を困難にした。それでも井上は公定歩合の引き下げや ドル為替取引の停止などよって対抗しようとしたが、若槻内閣の閣僚の中にも安達謙蔵のように造反する者がいて、 閣内不一致で総辞職ぜざるを得なくなったのだった。  「投機的なドル買いは純粋な経済行為であり、責められるいわれはないと主張される銀行家もおられます。 しかしこうした方々が国家的な損失を度外視してドル買いを続けた結果、わが国は大不況におちいり、 農村でも都市でも多くの国民が路頭に迷うことになりました。こうした状況を放置するなら政界や財界に 対する国民の信頼は失われ、正当な政策論に耳を貸す者はいなくなりましょう。今や財政や金融政策などより、 金融界のこうした体質を改めることが国家的な課題だろうと思われます」  だから自分は立憲君政党の一員として、これからはこうした課題に取り組んでいく所存である。井上は そう言って演説を締めくくった。  つづいて壇上に立った高橋是清は、だるませんの愛称で親しまれている。丸く太った大きな体をして、 禿頭にあご髭という姿をしいた。嘉永7年(1854年)江戸の生まれで、蔵相に命じられたのは犬養内閣で 4度目だった。
2024年10月09日<生活守る使命果たす 電気、ガス料金、負担軽く  東京・足立区で岡本政調会長>  公明党の岡本みつなり政調会長(衆院選予定候補=東京29区)は、8日夜、東京足立区内で 開かれた党足立総支部(総支部長=中山信行都議)主催のタウンミーティングに出席し 「政治家の使命は国民の命と生活を守ることだ」と述べ、物価高対策に力を注ぐと訴えた。 ・・・・岡本政調会長は、当面の物価高への対策として、低所得世帯や年金生活者への給付、 電気・ガス料金の軽減などに取り組む考えを表明。「足立区、東京の未来を全力で担っていく」 と力を込めた。また、「(結党以来)60年にわたって政治腐敗と闘ってきたのが公明党の 歴史だ」として、政治改革をリードしていく決意を語った。  
2024年10月09日<ふたりの祖国 58 安部龍太郎 第三章 満州国 10>  1月21日の午後1時から、国会議事堂の貴族院において新旧蔵相の立会演説会がおこなわれた。 議場には三百名ちかい議員が集まり、関心の高さをうかがった。  徳富蘇峰は他の新聞社の重役や有識者らと共に招待され、議場の後方の席で拝聴していた。まず 最初に前蔵相の井上準之助が壇上に立った。東京帝国大を卒業した後、日本銀行に入行した官僚肌の 男で、高橋是清に見込まれて日銀総裁にまで栄進した。  やがて立憲君政党の浜口雄幸内閣が発足すると蔵相に任命され、金輸出解禁策と緊縮財政策を押し 進めた。ところがこれが金の流失と円安を見越したドル買いを招き、世界恐慌ともあいまって日本経済は 大混乱におちいった。  昭和5年(1930)11月には浜口首相狙撃事件が起こり、翌年4月には濱口が体調不良を理由に 首相を辞任した。後任の若槻礼次郎内閣でも井上は蔵相をつとめ、金解禁と緊縮財政策を推し進めたが、 12月13日に若槻内閣が総辞職したために志半ばで職を追われたのだった。  「私が蔵相を拝命しましたのは、大正12年9月2日から翌年1月7日の4カ月と、昭和4年7月2日から 昭和6年12月13日までの2年5カ月でございます。中でも皆様のご記憶に新しいのは、昭和5年1月 11日の金輸出を解禁した前後のことではなかろうかと存じます」  井上は官僚出身者らしい律義さで就任期間を正確に伝え、なぜ金輸出を解禁する必要があったのか について語った。その一番の理由は、第一次世界大戦で分断された世界の貿易体制を復活させるために、 金本位制を確立するのが国際連盟の方針だったことである。  日本もこれに応じなければ、国際通貨としての円の信用はなくなり、為替相場の安定を保てなくなる。 また通貨の孤立にもつながる恐れもあるので、数年の間混乱にみまわれたとしても、これを切り抜けなければ 国の発展はないと判断したのだった。  「これは財政、金融政策において間違っていなかったと、今も自負しております。ところが思ってもいなかった 怪物が、我らの行手に立ちはだかりました」
2024年10月07日<ふたりの祖国 56 安部龍太郎 第三章 満州国 8>  1863年に生まれた蘇峰にも、こうした気質は色濃くあった。それが明治政府への不信や 英米に対する反発となり、日本のあるべき姿を追い求めて言論人になる道を選ばせた。  つまり蘇峰の政府への不信とアメリカへの反発は、満州問題に限ったことではない。 物心ついて以来60年ちかくの間に醸成されたもので、維新以後の日本が背負い込んだ宿痾と 言うべきものだった。そうした心情から発せられたからこそ、蘇峰の言説は多くの国民の心の 琴線に触れ、世論を動かすほどの力を発揮したのである。  「米国政府の通牒」を書いた後の蘇峰は、久々に心の平穏を得ていた。心の迷いを振り切った 静かな境地で、これから進むべき道、展開するべき論説を見通すことができた。  それを一言で表現するなら「戦場に立つ覚悟」であろう。負ける訳にはいかない戦いに 踏み込んだから、持てる力のすべてを勝利のために傾注しなければならなかった。 ・・・・・・・
2024年10月05日<ふたりの祖国 55 安部龍太郎  第三章 満州国 7>  蘇峰がなぜアメリカに対してこれほど過剰な反応を示したかについては、 少し立ち入って分析しておく必要がある。なぜなら蘇峰の反応は明治時代を生きた日本人に共通するものであり、 ひいては日米開戦を決意する際の重要な要素のひとつになったからである。  当時の日本は満州への政治的、経済的進出を、世界恐慌から立ち直るきっかけにしようとしていた。 しかしその方針は、満州の張学良政権の反対と抵抗にあってなかなか進めることができなかった。 そんな時に関東軍が満州事変を起こし、一挙に状況を好転させた。  それならこのままの方針に従った方が得策であると、蘇峰らがいくぶん後ろめたさを感じながら 関東軍支持に回ろうとした時、スティムソンが正義の刃を振りかざして待ったをかけたのである。 蘇峰がこれに激高したのは、自分でも後ろめたい思いをしていたからにちがいない。それでも 国家と国民のためにこの道を進もうと決断した矢先に横槍を入れられ、公明正大ならなら痛まぬ はずの良心が痛手を受け、よりいっそうむきになって正義をふりかざさざるを得なくなったのだろう。  もうひとつの理由は、アメリカが正義の刃をふりかざすことへの根強い不信感である。蘇峰は 『日日だより』の中で、米国が最近20年間にどんな植民地政策を取ってきたか考えてみろと 言い放ったが、不信の原因はそればかりではなかった。  1853年のペリーの来航、翌年の海軍力を背景にした開国の強制、幕府の無力に付け込んだ 不平等条約の終結などによって日本は大混乱を引き起こし、明治維新の動乱によって国の形まで 変えざるを得なくなった。  そうして明治政府の体制を作り上げたことは日本人が誇るべき偉業だが、当時を生きた人々の 心にあったのは外圧への反発と抵抗である。それが尊皇攘夷運動として燎原の火のように燃え上がった。  薩長両藩を中心とする明治の新政府は、政権を取るなり攘夷の方針を捨てて国際協調政策を取ったが、 多くの国民は維新以後も尊皇攘夷の情念を心の奥底に押し込めていたのだった。
2024年10月04日<衆議9日解散、27日投票 短期決戦、結束し勝つ> 石井代表・・「投票日まで残り24日間しかないという本当に”超短期決戦”である。 しっかり党内で結束をして臨んでいきたい」
2024年10月04日<北斗七星> 母は生前、「来世は絶対に男になりたい」と語っていた。すぐに笑顔に戻ったが、 その真剣な表情には、何かに挑戦できなかった悔しさがにじみ出ていた。いろいろな 困難が立ちふさがったのだろう。・・・・
2024年10月04日<ふたりの祖国 54 安部龍太郎  第三章 満州国 6>  昭和7年1月10日、蘇峰はさっそく『日日だより』に『米国政府の通帳』と題する 一文を発表した。 「諺に金持と灰吹とは、溜れば溜まるほど汚くなるという。米国は金持ばかりではなく地持だ。 北米大陸は、むろん。ハワイ、フィルピンなど、世界の各所にも、その所領がある。キューバなども、 その保護領だ。今さら新領土を開拓せねばならなぬ必要は決してない」  蘇峰はいきなり張リ手を食らわすような論調で書き出し、それにもかかわらずアメリカは満州に 関心を持って、これまでにもちょっかいを出してきたとつづける。 「その関心がスチムソン氏の通牒となったのだ。この通牒の正文は、何事を意味するか、その徹底の 意味は、我らにもちょっと解しかねるが、しかも不戦条約や九ヶ国条約を引援し来るところを見れば、 何やらん我が国に向かって、一本突き込んだものであろう」  スティムソンの通告は、蘇峰が意味を解しかねると言うほど難解なものではない。おそらく蘇峰は は充分に意味を分かった上で、とぼけているのだろう。そして日本正義論の旗を、次のように高々と かかげる。 「されど我らが当初より明言したる通り、日本の立場は白日晴天、公明正大である。満蒙に向かって、 領土的野心もなければ、満蒙の利権を日本が壟断して、その門戸を列国に向かって閉鎖するものでもない」  日本はこういう公明正大な方針を貫いているので、スティムソンが今さら不戦条約や九カ条条約を 楯に取って文句をつけてくる筋合いではないと言い、たとえ文句をつけてきたところで意に解すべき理由は ないと切って捨てる。そして最後に次のように宣言するのである。  「我らはこの機会において、米国が少しく最近20年間、自らその歩み来りたる足跡を吟味せんことを 望む。己れが欲する所、これを人に施せとは、実にキリスト教国民の第一義ではないか」  自分がやってきたことを思えば人のことが言えた義理かと蘇峰は渾身の力でアメリカに逆ねじを くらわせたのである。
2024年10月03日<ふたりの祖国 53 安部龍太郎  第三章 満州国 5>  張学良の戦略は世界の世論を見据えたものだった。日本がパリ不戦条約に反して軍事行動を起こせば、 英米をはじめ世界各国から非難をあびて孤立する。それを追い風にして、満州を日本から奪い返さば いいという考えだった。 (ということは、敵の罠にはまって事を起こしたようなものではないか)  蘇峰はそのことに初めて気付き、これほど大がかりな計略を中国だけで立てることはできない。 背後でアメリカと手を組み、日本をおとしいれようとしているのだと判断した。  そうした現実認識が、蘇峰に最後の決断をさせた。自国に非があるなどと認めるのは言語道断である。 これからは徹頭徹尾正義は日本にあると主張し、中国の悪逆非道を天下に知らせねばならぬ。  それが中国が仕掛けた国際世論操作に打ち克つ唯一の手段なのだ。 ・・・・・  これ以降蘇峰は関東軍の謀略説には目をつむり、柳条湖事件の責任はすべて中国側にあるという主張を 展開することになる。日本は正義、中国は悪なのだから、決してこの悪に屈してはならないと日本人を 鼓舞しつづけた。  この判断が正しかったかどうか、当時の事情を勘案すれば軽々に断ずることはできまい。ただひとつ 言えるのは、こうした判断をしたのは蘇峰や東京日日新聞社だけでなかったということだ。  他の大手新聞社やラジオ局、内閣、外務省、陸軍省、大本営など、日本の中枢を占める機関がこぞって 関東軍の謀略説には口をつぐみ、張学良軍が先に攻撃を仕掛けてきたと決めつけた。  そのため世論もこれに追随し、日本が国際的な孤立を深める原因になると共に、関東軍のさらなる 跳梁跋扈を許すきっかけになったのだ。 
2024年10月02日<ふたりの祖国 52 安部龍太郎  第三章 満州国 4> ・・・・奉天の関東軍は、張学良が十万の大軍をひきいて九月中旬までに北京に移動すると いう情報をキャッチしていた。その留守を狙って満州を一気に占領しようと、柳条湖での 線路爆破を仕掛けたのである。  しかし関東軍は一万四千ばかりの兵力しか保持していないので、朝鮮軍の林銑十郎司令官に 混成第三十九旅団を満州に進軍させるように求めていた。  ところが奉天に残っていた張学良軍一万余は、関東軍が満州を制圧し始めても反撃しなかった。 これは関東軍の武威を恐れたためだと日本では盛んに宣伝されていたが、実は張学良が奉天を 離れるに当たって、留守の間に関東軍が軍事行動を起こしても抵抗するなと命じていたのだった。
2024年10月01日<ふたりの祖国 51 安部龍太郎  第三章 満州国 3> ・・・・1月8日になって、蘇峰の迷いに楔を打ち込む事件が起きた。アメリカの  国務長官スティムソンが満州問題についての対処方針を、日本の駐米大使館に通告 したのである。  スティムソン・ドクトリンと呼ばれる通告の内容は婉曲だが、平たく言えば 満州事変以後に日本が獲得したいかなる権利も認めないし、パリ平和条約に 反するいかなる状況、条約、合意も承認するつもりはないという強硬なものだった。  これを読んで蘇峰の怒りに火がついた。アメリカは近年、中華民国政府の側に 立って何かと満州問題に口を出すようになっている。 しかもそれは中国からの情報を根拠にした片寄ったものなので、蘇峰ばかりか 日本人全体がアメリカへの不満をつのらせていた。  その上に満州での日本の行動は正当性がないと決めつけられ、蘇峰のアメリカに 対する怒りと不信と怨念が腹の底から吹き上がってきた。スティムソンに向かって 通告を叩き返してやりたい気持ちになり、これはもはや思想戦なのだと肝を据えた。  どちらが正しいか、主義主張の正当性を争うとなれば、自国に不利になることを 表に出していいはずがなかった。 
2024年09月30日<ふたりの祖国 50 安部龍太郎  第三章 満州国 2>  柳条湖事件についての解釈で問題になるのは、あの事件を張学良軍の破壊工作と見るか、 関東軍の自作自演と見るかである。蘇峰は事件後一度も自作自演と口外したことはないが、 外信部の西川大蔵から自作自演を疑わざるを得ないいくつもの情報を得ている。  若槻内閣が緊急の閣議において「事変不拡大」の方針をいち早く決めたのは、 奉天の日本総領事館から自作自演を疑うにたる情報を得ていたからだというが、 前後の事情を勘案すれば、その信憑性はきわめて高い。「だとするならば、 ジャーナリストとしてどうすべきか」  そう問われたなら、自由民権運動に邁進していた頃の蘇峰なら、迷いなく関東軍の 不正を暴くべきだと答えただろう。真実を世に知らしめ、権力の巨悪を白日のもとに さらすのがジャーナリズムの役目だと、声高に主張したに違いない。  だが、今の蘇峰はちがっていた。毎日百万部をこえる新聞を発行する大新聞社の 主賓になり、その発言は国の世論を変えるほどの影響力を持っている。  しかも満州は日本の生命線なので、一日も早く実質的な統治下に組み込むべきだと は、蘇峰も以前から主張していた。事変後の関東軍は、この目的を信じられないほど 完璧になし遂げたのである。  だから柳条湖事件が関東軍の自作自演だとしても、謀略も兵法のうちだと見なして 行程したい気持ちが蘇峰には色濃くあった。ここで柳条湖事件を問題にして、ようやく 手に入れた満州という果実を手離しては、日本と日本人にとって損失があまりに 大きいからである。  (そうしたことは、外交や戦争においてはよくあることはだ。イギリスもアメリカも 悪辣な手段を用いて、今の植民地帝国をきずき上げたではではないか)  そう言いたい気持ちが、蘇峰の胸元までせり上がっている。だがひと思いにそれを 是とすることができないのは、武家育ちらしい正義感と倫理観があるからである。  それに自分ばかりか国民までもあざむいたなら、取り返しがつかないことになると いう危うさも感じているのだった。
2024年09月21日<ふたりの祖国 43 安部龍太郎  第二章 イェール大学 20>  興味深いことに、3人とも奥州の出身である。石原は山形県鶴岡、板垣は岩手県岩手郡沼宮内村 (現岩手町)、大川は山形県酒田に生まれている。  3人とも1885年から89年の生まれだから、両親は戊辰戦争の苦難のさなかを子供時代に 生き抜き、明治の御世になってからは薩長独裁体制のもとで冷や飯を食らわされた世代という ことになる。 ・・・・・陸軍大学校などでどれだけ優秀な成績をおさめても、通常の方法では陸軍や参謀本部の 中枢に席を得ることはできない。むしろ有能さと反骨心をうとまれ、関東軍のような辺境に追いやられる ばかりである。  (それならば関東軍をもって満州国を独立させ、外圧を仕掛けて日本という国家そのものを 改造すればいいではないか)  石原らがそう決意し、満州国をもって日本を呑み込む計略を立てていたとしたらどうだろう。 事は関東軍による暴走などではなく、関東軍による日本乗っ取り計画である。その根幹には 明治政府の不正にたいする怒りと怨念があるために、彼らは革命家的な確信を持って日本の体制を 壊しにかかるにちがいない。
2024年09月20日<ふたりの祖国 42 安部龍太郎  第二章 イェール大学 19> 犬養内閣に対する関東軍の反撃は迅速だった。1932年昭和7年の年が明けた1月3日、 関東軍は大軍を侵攻させて錦州を占領した。  錦州は黄海に面した要港だが、南満州鉄道の駅があるわけではないので、柳条湖事件を 起こした張学良軍から鉄道や駅を守るという弁明は成り立たない。関東軍はそれを承知で、 敢然と中華民国政府と国際世論、そして犬養内閣に挑戦状を叩き付けたのだ。  ・・・・・  天皇の統帥権の独立とは、軍の政治的中立性を維持するために作られた制度である。 それを天皇の統帥下にあるために、時の政権から独立して勝手な行動を取ることができると 解釈しては、軍の暴走に対して政治の歯止めがきかなくなる。  関東軍の石原莞爾や板垣征四郎らは、それを狙ってあえて暴走をつづけている。しかも 反対する勢力は武力で排除するという姿勢を露骨に示し、軍部に対して物が言えない状況を 作りつつあった。  ・・・・・  石原は明治22年(1889)生まれ・・・・山形県西田川郡鶴岡(現鶴岡市)の出身で、 明治43年(1910)に陸軍士官学校を卒業している。その後陸軍大学に進み、戦術学、 戦略、軍事史などを学んだ後、ドイツに留学してヨーロッパ戦史についての研究を進めた。  4年前には関東軍作戦主任参謀として満州に赴任し、関東軍による満蒙領有計画に 取りかかることになる。そうして昨年9月に満州事変を起こし、満州のほぼ全域を掌握した のだった。  驚くべきは、祖国の運命を揺るがしかねないこの暴挙が、石原を中心とした数人の 立案によって進められていることだ。他には関東軍の高級参謀である板垣(1885~ 1948)と、在野の論客大川周明(1886~1957)だった。
2024年09月19日<ふたりの祖国 41 安部龍太郎  第二章 イェール大学 18> 九月十八日の満州事変以後も、関東軍の暴走はやまなかった。若槻内閣が「事変不拡大」の方針を 発表したにもかかわらず、十月八日には奉天から錦州に拠点を移した張学良軍を追って錦州を空爆した。  これは関東軍参謀石原莞爾が立案したもので、十一機からなる飛行隊は上空一千メートルから錦州市を 爆撃し、二十五キロ爆弾七十五発を投下した。  次いで十月十六日には十月事件が発覚した。陸軍急進派の将校らが組織する桜会は、十月二十四日を期して 軍事クーデターを決行し、首相官邸や警視庁、陸軍省、参謀本部などを襲撃する。そうして若槻礼次郎首相以下を 退陣させ、荒木貞夫陸軍中将を首相にした軍事政権を樹立しようとしていたのだった。  これには国家改造を主張する大川周明や北一輝も参画していて、組閣の際には大川を大蔵大臣、北を 法務大臣に起用する予定だったが、直前になって陸軍省や参謀本部に察知されて未遂に終わった。  事件は桜会幹部の謹慎や地方への転勤という軽い処分で幕引きがはかられたが、標的とされた若槻内閣には 激烈な影響を与えた。内閣の国際協調路線ではもはや軍部を押さえきれないと察した政治家の中には、 若槻内閣を退陣させて与党と野党と軍部の協力による挙国一致内閣を作ろうという動きが活発になった。  その中心となったのは内務大臣の安達謙蔵や中野正剛らで、計画は順調に実現するかに見えた。ところが これでは軍部の独裁につながると危惧した若槻は土壇場で拒否し、十二月十一日に閣内不一致のために 総辞職した。  これを受けて十二月十三日に首相に任じられたのが、政友党の犬養毅である。犬養は内閣誕生後の 総選挙で大きく議席を伸ばして政権基盤をととのえ、世界恐慌にあえぐ日本経済を立て直すために、 高橋是清を大蔵大臣に起用して財政の立て直しをはかった。  また、満州に傀儡政権を樹立しようとする軍部を封じるために、中華民国政府の蒋介石と極秘の 交渉を行ったが、これが関東軍のさらなる暴走を招くことになったのだ。
2024年09月18日<ふたりの祖国 40  第二章 イェール大学 17> ・・・「ご承知の通り、当店は会員制の店でございます。 皆さまの総意によって、11月から日本人の入店をお断りさせていただいて おります。大変申し訳ないのですが」  「そんな失礼な話がありますか。朝河先生は24年間もイェール大学で勤務し、 アメリカの市民権も得ておられるのですよ」  「しかし日本の国籍であられる。満州における日本軍の行動は国際的な信義に 反する侵略行為ですから、容認できるものではないと会員の皆さまはお考えです。 それゆえ同席したくないという方が多いのでございます。」・・・・・
2024年08月20日<「緯度経度 世界は今」 ウクライナの越境攻撃 和平にらみロシア領を制圧> ロシアの攻撃で劣勢に立つウクライナ軍は8月6日から、隣接するロシア 南西部クルスク州に侵攻し、16日までに約1000万平方キロメートル の領土を制圧し、陣地を構えた。ロシア領が外国軍隊に圧制されたのは、 第2次世界大戦の独ソ戦以来はじめてで、プーチン政権にとって屈辱と なった。・・・・ 11月5日の米大統領選後に和平交渉が行われるとの見方もあり、 ウクライナ側はロシアを交渉に応じさせる取引に使う可能性がある。
2024年08月04日<勝負の夏を走り切る 勉強の”ハマり方”  ビリギャル本人 小林さやかさん> ーー勉強のコツを教えてくだい。   勉強で一番壁になるのは、モチベーションをどう保つかですよね。 モチベーションが高ければ、自然と自分にあった効率的な勉強法を試行錯誤 できると思います。  では、モチベーションに欠かせない要素は何か。実は二つあります。  一つは「I wanna do it.(自分、それやりたい)」と、やる価値を 感じているかどうか。まずは、自分の感情がぐっと揺さぶられるような 目標を立てることが出発点です。もう一つは、「I can do it.(自分なら コレできそう)」と、どれぐらい思えるか。目前の課題に対して、 頑張ったらできそうと思えば行動に移せるはずです。・・・・
2024年05月27日<北斗七星> ・・・・中学生が英作文の提出課題に生成AI(人口知能)を使った 事例など・・・ この状況について囲碁の七冠を過去2度独占した 井山祐太棋士は「皆が同じ先生について習っているようなもの」と 指摘。先月は「十段」を奪還して三冠に返り咲いたが、たとえ結果が 悪くなったとしても「打ちたい手を打つ」信念を貫いてきたという 。AIを使えば間違いないのかもしれない。しかし、失敗から学び、 成長するのが人間ではないか。自分で苦闘して答えを探す中に新たな 発見と感動があり、個性も生まれるのではないか。・・・・
2024年05月15日<北斗七星>  「少ない年金でどう暮らすか」という話題はよく聞くが、 「限られた人生をどう生きるか」という話はあまり聞かない。 ・・・・手塚治虫記念館・・・「火の鳥~手塚治虫のライフワーク~」 を開催している。・・・・・ ・・・・英文学者の外山滋比古氏は「学者でなくとも、芸術家でなくても、 あらゆる人にライフワークは可能である(『ライフワークの思想』)と 記した。平凡でいい。自分らしく、使命を感じ、わくわくする人生で ありたい。 
2024年05月07日<北斗七星>  ・・・・批評家の東浩紀さんは著書『訂正する力』で「老いるとは 変化することであり、訂正すること」と、老いの肯定を説く。 「訂正する力とは、過去との一貫性を主張しながら、実際には過去の解釈を 変え、現在にあわせて変化する力」。 今の政治は批判を恐れ「訂正する力」を欠いていると見る東さんは、政治とは 正義を振りかざす「論破」のゲームではなく、互いの立場を尊重し議論して 意見を変えていく「対話のプロセス」と指摘する。・・・・
2024年05月05日<法テラス”悩み”解決へ活躍  「総合法律支援法」成立から20年 法テラス丸島俊介理事長>  ・・・・ 私は諸外国の法律扶助制度を調べましたが、印象的だったのは米国・ ニューヨーク市の貧困街に設けられた公設弁護士事務所の光景です。 弁護士が福祉・雇用などの専門家と連携し、貧困から罪を犯した人の 再生と生活再建へ包括的に支援していました。社会から疎外された あらゆる人の尊厳を守ろうとの姿に「日本ではまだ遠い光景かもしれないが、 いつか実現したい」と思いました。 ・・・・
2024年04月23日<北斗七星>  ・・・・キャッシュレス決済やチケット発券など暮らしのあらゆる 場面に定着する2次元コード「QRコード」。1994年の誕生から今年で 30年。  世界中に広がる画期的な技術の生みの親は、一人の日本人技術者だった。 株式会社デンソーウェーブの主席技師・原昌宏さん。・・・・ 「どんなにいい技術でも、多くの人に使ってもらわなければ意味がない」と 特許を無料開放する英断・・・・ 原さんは人生の重要なキーワード3点を伝えた。「主体性を持って学ぶ」 「創造的思考能力を伸ばす」「高い志を持つ」。特に「人類の皆が幸福に なるような高い志を持ってください」と・・・
2024年04月22日<北斗七星> プーチン大統領が1月、哲学者カントの出身地、ロシアのカトーニングランド(元 ドイツ領)を訪問。学者らに、「カントが書いたことについて読んで掘り下げること は理にかなっています」と語ったとロシアのニュースサイトが報じた。  きょう、生誕300年を迎えたカントは、フランスの思想家ルソーの著作 『エミール』に衝撃を受け、「かつて私は(中略)無知の民衆を軽蔑していた。 ルソーは私の誤りを正してくれた。目のくらんだ優越感は消え失せ、私は 人間を尊敬することを学んだ」と告白した。そして「真実は、一般民衆の生活、 人間の自然の姿である」と。  著した『永遠平和のために』では、兵士について「人間がたんなる機械や道具として」 国家に利用される、と訴えた。  いま、侵略戦争を仕掛けた張本人から「理にかなっている」などと評され、 大哲学者もさぞ片腹痛かろう。・・・・
2024年04月09日<北斗七星> ・・・・ベートーヴェン<問題は行為の動機であって、その結果ではない。 報酬が行為の動機でありそれを目当てとするような人になるな。 おまえの生活を無為にすごすな。おまえの義務を果たすために精励せよ。 結果と終局が善いだろうか、悪いだろうかと考慮することをやめよ。> 
2024年03月25日<北斗七星>  満州事変から太平洋戦争までの時期、衆院議員の3割を新聞などのメディア出身者が 占めていたそうだ。メディアの役割が政治を監視する「番犬」なら、なぜ戦争を止められなかったのか。  多数のメディア出身議員がいたからこそ世論に逆らえなかったでは。京都大学大学院 の佐藤卓己教授はメディアと政治の”共犯”を指摘する。  両者をつなぐ「メディア議員」に光を当て明治期から戦後にかけて活動した14人の 評伝シリーズ(全15巻)を刊行中であると知り、月刊「公明」最新4月号でインタビューした。  興味深かったのは、影響力や効果の最大化を図る「メディアの論理」で議員が動く ことの危険性だ。理念や政策の実現をめざす「政治の論理」よりそれが優先されれば、 「ポピュリズム」(大衆迎合主義)に堕してしまう。  国民を粘り強く説得し理解を得る努力を嫌い、時代の波に乗って人気を得ようとする メディア議員は、その波から降りることも、止めることもできない。佐藤氏は 「さまざまな利害から独立し、自立して政治を行うところに、中道の本質があるのでは ないか。(中略)世間の空気からも独立的であることが重要だ」と述べる。 公明党への期待と受け止めた。
2024年03月22日<北斗七星> 黒船来航から戊辰戦争の終結まで、わずか16年。その短さにもかかわらず、 幕末は戦国時代と並び歴史ファンに圧倒的人気を誇る。  もはや語りつくされたように思える幕末史。だが近年、欧州や米国の博物館などで 幕末に関する機密文書が見つかり、当時の日本が世界の覇権争いと深く関わっていた ことが明らかになった。  取材班は、幕末に日本と世界をつないだ列強の外交官や武器商人らがつづった記録や 史料を、英国、ドイツ、フランス、米国、オランダ、ロシア、スイスで調査。 国内外の研究者の協力を得て、その中身をひもといていく。  際立ったのは、英国の外交官ハリー・パークス駐日全権公使だ。情報の収集と分析、 対日政策の構想と立案そして交渉、実行と、全てに強みを発揮。日本に親英的な 近代国家を築くという使命を成就する。「我らは、薩長に負けたのではない、 イギリスに負けたのだ」。敗軍の将となった榎本武揚の言葉だ。  「歴史は、現在と過去との対話どある」(E・H・カー)という。過去の膨大な記録と 向き合い、現在のグローバルな視点から歴史の新しい見方を導いた取材班の試みに、 それを学んだ。
2024年01月22日<緯度経度 世界は今  金総書記「韓国併合」に言及  高まる朝鮮半島の危機> ・・・北朝鮮の金正恩労働党総書記は15日、平壌で開かれた最高人民会議(議会)で演説し、 韓国を「第一の敵対国であり、不変の主敵だ」と述べ、祖国平和統一委員会など南北対話や 協力のための3機関の廃止を通達した。・・・・ 北朝鮮はトランプ前大統領との首脳交渉が決裂したことに失望し、ロシア接近に舵を切った。 特に、ロシア軍のウクライナ侵攻では、ロシアに武器・弾薬を大量供与している。・・・・
2024年01月20日<生きがい就労でシニア活躍 「貢献寿命」の延伸まざせ> これまで「健康寿命」が強調されてきたが、今後は若々しく社会参加できる「貢献寿命」を 伸ばす時代だ。就労を通して、地域のコミュニティーとちながることは健康面でプラスの 効果があることも分かっている。 シニアは大きく3層に分類される。経営者や弁護士など 仕事に困らない「心配不要層」。会社員や公務員などだった「普通のシニア」。 そして生計のために働かざるを得ない「生活困窮層」だ。
2024年01月12日<北斗七星> 今年20歳を迎える女優の芦田愛菜が語った新年の抱負に感心した。3日に放送された「サンドウィッチマン& 芦田愛菜の博士ちゃん」(テレビ朝日系)の中で「慮(おもんばか)る」の一字を記し、思慮分別のある人、 友人や周りの人に気遣いできる人になりたいと。新年や誕生日などの節目に目標を立てると、達成率が 高くなる「フレッシュスタート効果」と呼ばれる現象がある。心理学および行動経済学の概念の一つで、 新しい期間の始まりは積極的な行動や変化を起こしやすくなるという。・・・・
2024年01月01日<北斗七星> 谷川俊太郎さんの『我慢』という詩にこんな一節がある。<答というものをぼくは信用していない/ 特に割り切った答はどれもこれもうさんくさい/疑問が複雑であればあるほど人は素朴な答を求めがちだ/ /素朴な答は単純な感情とセットでうられる>詩人は、海の向こうで始まった戦争をテレビで見ている。 何が正しいのか、スッキリした<答>がほしいが、モヤモヤしながら<それを買う>のを<我慢してる>。 そのような詩である。とかく現代社会は「正解」が見えにくい。誰しも未来を見通せない以上、どんな行動や 選択が適切かを知ることは簡単ではない。しかも少子高齢化、人口減少など複合的な課題に対応する 政策の多くは「あちらを立てればこちらが立たず」というトレードオフをもたらす。そんな割り切れない時代に 必要なのは、異なる意見に耳を傾け合意を形成していく粘り強い対話であろう。こと政治において極端な 主張や独善的な態度といったものは大体間違っている。言うまでもなく国民にモヤモヤばかりの我慢を強いる 政治であっていいはずはない。公明党は、人々の暮らしや平和にとって何が良いことかを考え抜いて、 政治のあるべき姿を示していきたい。