〇第8:五百弟子受記品(ごひゃくでしじゅきほん)
五百弟子受記品では、前の 化城喩品(第七章)の説法を聞いて歓喜した富楼那に対して、授記がなされます。富楼那は、釈尊の弟 子の中で「説法第一」「弁舌第一」と言われた人です。
弘教を富楼那が申し入れると、釈尊は言います。「富楼那よ、かの国の人々は、気が荒く、ものの道理がわからず、人の悪口ばかり言う そうだ。彼らは君をあざけったり、ののしるだろう。その時は、どうするつもりか」富楼那は答えます。「そうしたら、こう思います。『この国の人 々は、いい人たちだ。私を手でなぐたりしないのだから』と」「それで彼らが、君をなぐったら、どうする?」「こう思います。『この国の人々は、 いい人たちだ。私を棒でたたいたりしない』と」「棒でたたかれたらどうするのか」「『鞭で打ったりしないから、いい人たちだ』と思いましょう」「 鞭で打たれたら」「『刀で傷つけられないからよい』と」「刀で傷つけられたら」「『殺されないから、よい人だ』と」「それでは富楼那よ、かの国 の人々に殺されたら、君はどうするのか」弟子はきっぱり答えます。「自ら死を求める人間すらいます。仏法のために、この貧しく、汚い身 を捨てることができるのですから、大いに喜びます。」と。この答えを聞いて、釈尊は安心した。「善きかな富楼那よ、その決意があれば 大丈夫であろう。行ってきなさい」こうして彼はその国で、多くの人を入信させたと伝えられます。
富楼那は、この品で「法明如来」の期別を受けます。人々と「法の光明」で照らすという意味です。富楼那への授記を聞いて、千二百 人の阿羅漢たちが歓喜します。釈尊は彼らに授記しようと述べ、そのうちの五百人に授記がなされます。

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