〇第9:授学無学人記品(じゅがくむがくにんきほん)
「衣裏珠の譬え」は、五百の弟子が、釈尊から授記されたあとに述べた「歓喜の証」です。五百人の阿羅漢たちは、我を忘れるほどの喜 びに満たされ、仏の足下にひざまずいて敬礼します。そして、自分たちが犯した過ち、つまり、阿羅漢の小さな智慧で満足し、如来の智慧 を求めようとしなかったことを悔いて、自らを責めます。その愚かな自分たちを、”貧しい流浪の人”に譬えて語ったのが「衣裏珠の譬え」で す。
ある貧しい男が親友の家に行って、ごちそうになり、酒に酔いつぶれて寝てしまった。この時、その親友は公用で急遽出かけなければなら なくなった。そこで親友は、酔いつぶれている友人の衣の裏に「無価の宝珠」、すなわち値段のつけられないほど高価な宝の玉を縫い付 けて、出かけていきました。貧しい男は酔いつぶれて寝ていたために、そんなことはまったく知りません。目が覚めて起きてからも、あちこち 他国を流浪します。そのうちお金がなくなり、生活が苦しくなってきます。衣食のために働きますが、苦しさは変わりません。少しでもお金 が入ると、それで満足していました。やがて、親友は、男に出会います。そのみすぼらしい姿を見て、男にいいます。「君は何と愚かなんだ 。どうして、そんなに衣食に窮しているのか。私はあの時、君が安楽な生活ができるよう、また、欲しいものは何でも手に入るようにと思って 、『無価の宝珠』を君の衣の裏に縫いつけておいたのです。今も、そのままあるではないか。それなのに、君はそのことを知らないで、ひどく 苦労し、悩んでいる。まったく愚かだ」と。貧しい男は、親友が教えてくれた宝珠を見て、大歓喜しました。
貧しいまま流浪し、その日暮らしに満足している姿は、小乗の教えを学び、阿羅漢の悟りに満足して、仏の智慧を求めようとしない 声聞の境涯を表します。また、親友と再び会って、無価の宝珠のことを知らされるのは、今、釈尊から法華経を聞いたことに当たります。 すなわち、今、法華経を聞くことによって、三千塵点劫の昔に起こした、成仏を願う「本願」を思いだしたのです。「本来の自分」に 戻ったのです。それが「声聞の目覚め」です。”無明の酔い”から覚めたのです。
第10:法師品(ほっしほん) へ
「衣裏珠の譬え」は、五百の弟子が、釈尊から授記されたあとに述べた「歓喜の証」です。五百人の阿羅漢たちは、我を忘れるほどの喜 びに満たされ、仏の足下にひざまずいて敬礼します。そして、自分たちが犯した過ち、つまり、阿羅漢の小さな智慧で満足し、如来の智慧 を求めようとしなかったことを悔いて、自らを責めます。その愚かな自分たちを、”貧しい流浪の人”に譬えて語ったのが「衣裏珠の譬え」で す。
ある貧しい男が親友の家に行って、ごちそうになり、酒に酔いつぶれて寝てしまった。この時、その親友は公用で急遽出かけなければなら なくなった。そこで親友は、酔いつぶれている友人の衣の裏に「無価の宝珠」、すなわち値段のつけられないほど高価な宝の玉を縫い付 けて、出かけていきました。貧しい男は酔いつぶれて寝ていたために、そんなことはまったく知りません。目が覚めて起きてからも、あちこち 他国を流浪します。そのうちお金がなくなり、生活が苦しくなってきます。衣食のために働きますが、苦しさは変わりません。少しでもお金 が入ると、それで満足していました。やがて、親友は、男に出会います。そのみすぼらしい姿を見て、男にいいます。「君は何と愚かなんだ 。どうして、そんなに衣食に窮しているのか。私はあの時、君が安楽な生活ができるよう、また、欲しいものは何でも手に入るようにと思って 、『無価の宝珠』を君の衣の裏に縫いつけておいたのです。今も、そのままあるではないか。それなのに、君はそのことを知らないで、ひどく 苦労し、悩んでいる。まったく愚かだ」と。貧しい男は、親友が教えてくれた宝珠を見て、大歓喜しました。
貧しいまま流浪し、その日暮らしに満足している姿は、小乗の教えを学び、阿羅漢の悟りに満足して、仏の智慧を求めようとしない 声聞の境涯を表します。また、親友と再び会って、無価の宝珠のことを知らされるのは、今、釈尊から法華経を聞いたことに当たります。 すなわち、今、法華経を聞くことによって、三千塵点劫の昔に起こした、成仏を願う「本願」を思いだしたのです。「本来の自分」に 戻ったのです。それが「声聞の目覚め」です。”無明の酔い”から覚めたのです。
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