〇第16:如来寿量品
それまでの法華経以前の経と、法華経の前半(迹門)では「釈尊は今世で初めて成仏した」と説かれてきました。いわゆる「始成正覚」 です。これを百八十度ひっくり返し、「私は実に成仏してから、無量無辺の時間を経ているのである」と明かします。これが「久遠実成」 です。
寿量品で説かれる「良医病子の譬え」のあらすじはこうです。良医である父が(仏)が、誤って毒薬を飲んで正気を失った子どもたち (衆生)を救うために、姿を隠し、遠国で自分が死んだと伝えさせる。子どもたちは、父がなくなった悲しみのなかで正気を取り戻し 、父が遺していった良薬(法)を服して病気が治る。そこへ父(仏)が帰ってきて、健康になった子どもたちと再会する。「仏は常住 不滅であるが、衆生に法を求めさせるための方便として入滅する。衆生が法を信受する時、仏は再び衆生の前に現れるであろう」これ が、この譬えの意味です。
「永遠の妙法」を行ずることによって、だれもが、常住此説法の「永遠の仏」を己心に見ることができる。これが釈尊の遺訓の本義です。 寿量品は釈尊滅後、なかんずく末法の民衆へのメッセージでした。釈尊がいない滅後には、釈尊自身の「師」(永遠の妙法)を「師」と していけ、私と同じ道をいけーーという遺言がそこに込められているのです。
第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん) へ
それまでの法華経以前の経と、法華経の前半(迹門)では「釈尊は今世で初めて成仏した」と説かれてきました。いわゆる「始成正覚」 です。これを百八十度ひっくり返し、「私は実に成仏してから、無量無辺の時間を経ているのである」と明かします。これが「久遠実成」 です。
寿量品で説かれる「良医病子の譬え」のあらすじはこうです。良医である父が(仏)が、誤って毒薬を飲んで正気を失った子どもたち (衆生)を救うために、姿を隠し、遠国で自分が死んだと伝えさせる。子どもたちは、父がなくなった悲しみのなかで正気を取り戻し 、父が遺していった良薬(法)を服して病気が治る。そこへ父(仏)が帰ってきて、健康になった子どもたちと再会する。「仏は常住 不滅であるが、衆生に法を求めさせるための方便として入滅する。衆生が法を信受する時、仏は再び衆生の前に現れるであろう」これ が、この譬えの意味です。
「永遠の妙法」を行ずることによって、だれもが、常住此説法の「永遠の仏」を己心に見ることができる。これが釈尊の遺訓の本義です。 寿量品は釈尊滅後、なかんずく末法の民衆へのメッセージでした。釈尊がいない滅後には、釈尊自身の「師」(永遠の妙法)を「師」と していけ、私と同じ道をいけーーという遺言がそこに込められているのです。
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- 前半14品(迹門)
- 後半14品(本門)
- 第15:従地涌出品(じゅうじゆじゅつほん)
- 第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
- 第17:分別功徳品(ふんべつくどくほん)
- 第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
- 第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
- 第20:常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)
- 第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
- 第22:嘱累品(ぞくるいほん)
- 第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
- 第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
- 第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)
- 第26:陀羅尼品(だらにほん)
- 第27:妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)
- 第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)