〇第24:妙音菩薩品
妙音菩薩品は、妙音菩薩が娑婆世界にやってきて、また帰った物語です。
釈尊が眉間から光を放って、東方を照らします。すると無限の仏国土の一つに「浄光荘厳」という世界があり、その国に「浄華宿王智如来」 という仏がいます。この国に「妙音菩薩」は住んでいるわけです。釈尊の光が妙音菩薩を照らすと、妙音は浄華宿王智如来に申し出ます。 「娑婆世界に行って、釈尊を礼拝し、親近し、供養し、さまざまな菩薩がたにも、お目にかかりたい」と。如来は答えます。「それはいいが 、娑婆世界を軽んじてはいけないよ。そこは高低があって平らかではなく、泥や石や山が多く、よごれている。仏の身も、菩薩の身も 小さいし、見劣りがする。」それでも「娑婆世界の仏と菩薩を尊敬しなさい!」と。「一番大変なところで法を説き、法を広めている 方々を絶対に軽んじてはならない!見かけで判断してはならない!最高に尊敬していきなさい!」(一番大変な国土で、泥まみれになって 戦っている人が、一番尊いのです。自分が仏の力で功徳を受け、人に尊敬される身になったからといって、そういう”戦いの現場”を 下に見たり、離れては大変な増上慢です。)妙音菩薩は、「如来の力」によって、少しも動くことなく、遠く離れた霊鷲山に美しい 「蓮華」を八万四千本、出現させます。霊鷲山の人びとは驚き、蓮華が出現したわけを文殊菩薩が代表して、釈尊に聞きます。釈尊が 「この蓮華は妙音菩薩がやってくる瑞相である」と教えると、文殊菩薩が妙音に会いたがります。そこで多宝如来の”来たれ”という 合図で、妙音が八万四千の菩薩とともに、「七宝の台」に乗って、やってくるのです。
妙音菩薩は、もし声聞の姿形でもって救済できる者に対しては、声聞の姿形を現し、あるいはまた縁覚の姿形でもって救済できる者 に対しては、縁覚の姿形を現し、あるいはまた菩薩の姿形でもって救済できる者に対しては、菩薩の姿形を現し、あるいはまた仏の 姿形でもって救済できる者に対しては、仏の姿形を現し、法を説くのである。このようにして、それぞれ救済すべき相手に随って、 その相手に随って、その相手のために姿形を現す。さらに、入滅することによって救済できる者に対しては、入滅の姿を示し 現すのである。
妙音菩薩は、社会に「希望」の大音声を奏でる菩薩です。

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