〇第26:陀羅尼品
「陀羅尼品」とは、仏の胸に燃える「広宣流布への大情熱」を見て、菩薩が、諸天が、鬼神までが、「私が、その大闘争を守護いたします! 広宣流布の実践者を全生命をかけて守ります!仕えます!」と次々と誓いを述べた。やむにやまれぬ思いの熱気が、霊鷲山を包んだ。 そういうドラマです。
陀羅尼品の冒頭で、薬王菩薩が釈尊に質問します。「法華経を受持し、読誦し、勉強し、書写する功徳は、どれくらいでしょうか」と。 すると、釈尊は、それに答えず、反対に薬王に質問します。「もしも八百万億邦由陀のガンジス河があって、その河のすべての砂と 同じ数の諸仏を供養したとしたら、その功徳はどうだろうか?」。薬王は「それは、とてつもなく大きい功徳です」と答えます。 釈尊は「いいかね、法華経の一つの詩でも受持し、読誦し、信解し、修行したら、その功徳は、これらの諸仏を供養したように 、とてつもなく大きいのだよ」と教えるのです。
「陀羅尼品」では、二聖(薬王・勇施の二菩薩)・二天(毘沙門天・持国天)と鬼神が、守護を誓う。かつ、全宇宙の諸天・諸菩薩 が同じ誓いを立てている。いわば「法華経の行者」守護連盟です。それは、なぜか。なぜ必要なのか。それは広宣流布が「仏と魔との 大闘争」だからです。この娑婆世界は「第六天の魔王」の所領です。その”悪王”に対して、改革を求めて立ち上がった革命家が ”仏”であり、”法華経の行者”です。当然、悪の大軍が弾圧しにやってくる。そのままにしておいては、永遠に夜明けはない。 そこで、悪の連合軍に対して、善の連合軍で守りますというのが、陀羅尼品なのです。
第27:妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)へ
「陀羅尼品」とは、仏の胸に燃える「広宣流布への大情熱」を見て、菩薩が、諸天が、鬼神までが、「私が、その大闘争を守護いたします! 広宣流布の実践者を全生命をかけて守ります!仕えます!」と次々と誓いを述べた。やむにやまれぬ思いの熱気が、霊鷲山を包んだ。 そういうドラマです。
陀羅尼品の冒頭で、薬王菩薩が釈尊に質問します。「法華経を受持し、読誦し、勉強し、書写する功徳は、どれくらいでしょうか」と。 すると、釈尊は、それに答えず、反対に薬王に質問します。「もしも八百万億邦由陀のガンジス河があって、その河のすべての砂と 同じ数の諸仏を供養したとしたら、その功徳はどうだろうか?」。薬王は「それは、とてつもなく大きい功徳です」と答えます。 釈尊は「いいかね、法華経の一つの詩でも受持し、読誦し、信解し、修行したら、その功徳は、これらの諸仏を供養したように 、とてつもなく大きいのだよ」と教えるのです。
「陀羅尼品」では、二聖(薬王・勇施の二菩薩)・二天(毘沙門天・持国天)と鬼神が、守護を誓う。かつ、全宇宙の諸天・諸菩薩 が同じ誓いを立てている。いわば「法華経の行者」守護連盟です。それは、なぜか。なぜ必要なのか。それは広宣流布が「仏と魔との 大闘争」だからです。この娑婆世界は「第六天の魔王」の所領です。その”悪王”に対して、改革を求めて立ち上がった革命家が ”仏”であり、”法華経の行者”です。当然、悪の大軍が弾圧しにやってくる。そのままにしておいては、永遠に夜明けはない。 そこで、悪の連合軍に対して、善の連合軍で守りますというのが、陀羅尼品なのです。
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- 第16:如来寿量品(にょらいじゅうりょうほん)
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- 第18:随喜功徳品(ずいきくどくほん)
- 第19:法師功徳品(ほっしくどくほん)
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- 第21:如来神力品(にょらいじんりきほん)
- 第22:嘱累品(ぞくるいほん)
- 第23:薬王菩薩本事品(やくおうぼさつほんじほん)
- 第24:妙音菩薩品(みょうおんぼさつほん)
- 第25:観世音菩薩普門品(かんぜおんぼさつふもんほん)
- 第26:陀羅尼品(だらにほん)
- 第27:妙荘厳王本事品(みょうそうげんおうほんじほん)
- 第28:普賢菩薩勧発品(ふげんぼさつかんぼつほん)