〇第18:随喜功徳品
随喜功徳----「随喜」すれば「功徳」があるということです。「喜んで」信心していけば、その分、大功徳があるということを教えて いる。
随喜功徳品では、有名な「五十展転」が説かれます。まず、弥勒菩薩が「この法華経を聞いて随喜する者には、どんな功徳、福徳がありますか?」と質問します。 これに対して、仏が答えます。如来の滅後に法華経を聞いて随喜する者がいるとする。それがだれであれ、 年寄りでも、若くても、町へ行き、田舎に行き、静かな所、いろんな所へ行って、父母、親族、友人、知人に 対して、聞いた教えを、自分の力に応じて説く(随力演説)とする。そうすると、聞いた人々は、また随喜し て、次の人に教えを語る。それを聞いた人がまた随喜して、教えを語る。このように「転経」し、「展転」し ていって五十番目の人に至ったとする。それでも、その人の功徳は莫大であるというのが「五十展転」の趣旨 です。
随喜功徳品の後半、五十展転の説法後、三段に分けて功徳が説かれています。まず、第一は、必ず物質的な 幸福を得るということです。経文には、妙法を聞く者は「是の功徳に縁って、身を転じて生れん所には、好き 上妙の象馬、車襄、珍宝の乗り物を得、及び天宮に乗ぜん」と、あります。第二は、指導者となる福徳です。 経文には、誘うくらいでも、少しでも人に勧めたら、「是の人の功徳は、身を転じて帝釈の座処、若しは 梵天王の座処、若しは転輪聖王の所座の処を得ん」とあります。帝釈、梵天、転輪聖王になる。今でいえば、 会社なら部長、社長などに、あるいは地域のリーダーに、そして妙法流布の指導者になっていく。それぞれ の立場で、リーダーとなって活躍できるということです。第三は、知恵が豊かになり、色心ともの健康を もたらす功徳です。
経文には、声をかけたり、誘ったりする人の五十の功徳が詳細に並べられています。すなわち、「利根にして」 「智慧あらん」から始まり、口や舌、歯や鼻、すべて健康であり、いい顔になり、そして「世世に生れん所には、 仏をみたてまつり」「法を聞いて」「教けを信受せん」と記されています。経済的にも、精神的にも、肉体的に も、そして、智慧も福徳も、すべて人がうらやむほど、自在の境涯になれるということです。

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